カテゴリーアーカイブ: ちょこちょこ独り言

上棟

上棟と云えばつくり手は命懸けの工事、一つ 間違えば大怪我や死に至る危険な作業の連続、無事に出来て当たり前なのですが、屋根仕舞いが完了するまでは息を付けない、だから無事に終えた後は職人に労いの言葉と心の中で神仏に合掌している、現場にいなくても担当の棟梁たちは無事に終わったことを必ず一報くれる。

此処2現場で御餅まきがあり参加してみると、色んな人と出会えた、大きくなった御施主様の子供たちや昔の御施主様や「お世話になった○○の母です」と声をかけてくださる人や何十年も前に一緒に工事した人とか、・・・大変申し訳ないが10年以上疎遠になると、思い出すのが年のせいか時間が掛かってしまう、子供たちは見違えるし、10年も会ってなかったら、頭は白髪になっているし容姿はお互い変わっている(笑い

先日は上棟の御餅まきは「なんて云ってまいてるの?」と質問された、(ひと~ぎ)と(しと~ぎ)がどちらが正しいか改めて調べた。上棟の御餅まきの行事は、上棟式などの神事を行う中で御餅まきをするのですが、正式には散餅の義とか散餅銭の義と云うそうです。しとぎ(粢)という掛け声で主に御餅をまくのですが、いつの間にか大分では「ひと~ぎ」餅に変わったようです、神殿に奉られたお米を形にしたのが「しとぎ餅」だそうです、それに御施主様のご主人の年の数程5円玉に「こより」を通して結び、良いご縁があるように御餅とお金(銭)を一緒にまく、散餅銭の義、今ではお菓子やトイレットペーパーなど色んな物が御祝いにまかれています、特に子供たちの参加が多くなってきたので、お菓子類はかなり前からまくようになった、因みにお餅まきに人が集まらない上棟は、村八分の人の上棟と伝えられています。どちらにせよ神殿に奉られて、福徳円満・無病息災・家内安全・家運隆盛を御祈願したお祝いのお餅,美味しくいただいてほしいものです。

親孝行

両方の両親はいないが、この身体の頭髪や皮膚に至るまで、すべて父母から頂戴したものである。この大切な身体を決していため傷つけないようにと最近は健康管理しているが、新入社員に何時も言うことはこのことで、刃物や電動工具を使用するので、油断すると大怪我の基になる、一人前(棟梁)になるまで五体満足で昇進いてほしい、親御さんから預かった大工見習いの新入社員にしつこく言っている、自分も何度か怪我をしてきてその怖さも分るし、親になって子供が怪我をしたとき、本人よりも心配になることがある。

後継者育成で今まで大きな怪我がなく、ほとんどの若者が順調に棟梁に育ってきた、今年も一人棟梁に昇進した、後継者育成(6~10年)の一区切りでやっと親御さんに報告が出来るのです。

両親から授かった身体と心そして先祖があるからと感謝を忘れずにいてほしい、親を大切にすることは、人間としての生き方の原点でもあるのです、その一方では育児放棄、幼児虐待、親殺し、子殺しそんな悲惨なニュースが後を絶ちません、その原因は戦後の教育で家族よりも個人を重視する風潮が広がったからです、一人ひとりが家族と云う母体から生まれ、家族を構成する一員であることを自覚してもらいたい、家族は心の拠り所なのです。

「親を愛する者は、決して他人を憎まない、親を敬する者、決して他人を侮らない」、親孝行とは単に養うことではなく、そこに「敬意」という精神が伴ってこそ真の親孝行といえるのです。

両両親がよく夢に出てくる、成仏していないなどといわれが、夢に出てくる両両親は生きていた時変わらずに声までかけてくれる(笑い。  合掌


挑戦

70を超え改めて体力の落ちを感ずる昨今、自分が作った無垢のテーブルにず~と違和感や不満を持っていた、もっと早く・丈夫で・綺麗なものは出来ないかと、毎日のように考えていた、ある夜にふと閃いたことがあり、これならいけると、わくわくするおもいで朝を迎え、その日のうちに実践となった、3通りの方法が出来、材を裏表生かすことも可能な、シンプルな反りない無垢のテーブルがついに完成に近づいた、2日ぐらいで出来たが、強度が取れず一度やり替えたが、今までの中で一番満足のいくものが完成した(アルプ総合展示場で試供品としてケヤキ無垢テーブルを展示即売しています)、社員につくりかたと長所等説明したうえで、これを基準にしてもっと完成度の高いものに挑戦してほしいと社員に願った。
一方畑では枝豆が実らず3回も失敗する、ほうれん草も4回植えて出来たのが1回だけ、人参は5回植えてすべて失敗した、土壌の質も変えてみた、種まきの時期も変えてみた、色んなことをメモしたノートを見てはチャレンジしているが、気候の条件もあるので無農薬野菜・オーガニック野菜作りは難しく、毎回チャレンジしている状態、又夏場は雑草の伸びがよく、暑い中での草取りや草切りは全身汗びっしょり、1日に3回もシャワーを浴びる、けれどやはりものづくりは楽しい、いくら失敗しても諦めないで良いものをつくろうという気概を持ち、挑戦を重ねていけば必ず良いものが出来るのです、これからもいろんなものに限りない挑戦をしていく。

手づくり


木造住宅の構造は殆ど機械化したプレカット、造作もただ組み立てるだけが主流、それなのに何故我が社は手づくりに拘るか、手づくりの一番は機械では出来ない人の氣(魂)を込めることが出来るからである、それには生きた自然素材が不可欠になるのです、新建材では生きたものが出来ない、だから我が社はクロス張りも合板も使用しないのです。
生きた自然素材に氣を込めれば益々生きてくるからです、その氣を込めることが大変難しいのです、チャランポランしていたら失敗して素材は死んでしまう、材を生かすには集中力が不可欠になるのです、長い工事期間中に無心の集中力を高めたほど氣が生まれ、生きたすまいが出来るのです。
完成した空間を潜ると、何とも言えない胸を締め付けるような気持ちの良い感覚を享受することが出来る、この野性的と云うべき感覚を持っている人は数多い、お客様で玄関に入った刹那に・・・何この気持ちの良い感覚は・・・なに~・・・多くの人から聞いた、目で見たものでなく心で感じたものだから忘れようがないのです。
何十年も前の頃、自然巣材100パーセントで精魂込めて造った住まいで一年経っても気持ちの良い「氣」は感じた、求めていたものが鮮明になり、自然素材+手づくりは絶対に続けて行こうと思った、それから性能や安心・安全等を取り組んで今日に至っている。
この仕事が大変なのは解るが、手づくりをして来て貴重な大切さが解ってきた、古民家再生も増改築も手づくり・手加工でやってきたから出来るのです、もし機械化にしていたら古民家のリノベ等はできないし、色々なドラマは生まれなかったでしょう。後継者育成には手づくりは不可欠です。

手づくりは「魂」をどれだけ込めかで「物」が生きてくる。
手づくりは神秘な「場」を提供することが出来る。
手づくりは人の心を癒してくれる。
手づくりはその人の性格が表れる。
手づくりは究極の「物」が出来る。
手づくりは永遠に輝き続ける。
手づくりは希少な技。
手づくりは誰でもできるがその差は大きい。
手づくりは豊かな心を持った人しか理解できない。
手づくりは元祖。
手づくりは健全な心を育む。
手づくりは化身を生む
手づくりは自分の意志で形が変わる。
手づくりはその人の人格の核を宿す。
手づくりは生かすも殺すもつくりて次第。
手づくりは材を選ぶが機械は選ばない。
手づくりは時が経つにつれ特徴が増す。
手づくりは材とのにらめっこから始まる。
手づくりは時には泣きたくなることもある。
手づくりは静のイメージ・機械は動イメージ
手づくりは飽きないが機械化は飽きる。
手づくりの価値は人による。
手づくりは均一なものが出来ないが、個々の価値はある。
手づくりは時間が掛かるが決して無駄な時間ではない。
手づくりは規模が小さく感ずるが世界の貴重な遺産は全て手作りで出来ている。
手づくりは物と己の葛藤。
手づくりはややもすると投げ出したくなる。
手づくりは永い歴史がある。
手づくりは間違いがあっても嘘はない。

人間は進歩か退歩かのいずれであってその中間はない、現状維持と思うのは実は退歩している証拠である。森信三先生の言葉。

私は朝礼などで云う、世の中すべての物や物事が進化・進歩している、我社もすべてが進歩して当たり前なのです、自然の運行と調和し生きていくことは、自然の中で生まれ自然とともにあるすべての生き物の頂点である人間の務め、近年環境破壊・地球温暖化は自然の運行を考えない愚かなこと、このままいけば何時しか考えられない自然の猛威に遭遇するでしょう、培ってきたものすべてを失うことになる。

どうせ生き、仕事をするのであれば持続可能な資源を使い、環境に本当に優しいし仕事。

持続可能な健康住宅の源は自然の中で生まれてきた人間だから、生きた自然素材の中にあると思う。

そんな健康住宅も、のんびりだらりと取り組んだら、自然のように生きてこない、生きた住まいづくりはつくり手の集中力から生まれる、つまり『魂』を込めるということ、これが手づくり・手刻みしかできない紛れもない事実なのです。

人間性も今日より明日というように成長して当たり前のことです、日々成長していく豊かな広い心を持った職人たちが目いっぱいの『魂』を詰め込めれば必ず生きたすまいは出来ます、『自然素材+魂』これこそが安らぎを感ずる究極の『場』と云ってよいでしょう。