若い時から仕事が中心だった、幸せとは「後悔のない満足感」と、ずーっと思っていた。昨今は不足ない日々を送っていたが急に持病が悪化して即手術、10日ほど入院生活で病院にお世話になった。手術して1日目は眠れなかった、風邪気味でよく咳が出るから出るたび激痛が走る、時間が経てば痛みも引くし時間は止まらないと自分に暗示をかけながら時の経つのを待った、3~4日したらだいぶん楽になったが思いもよらない入院生活、リハビリはしていたが殆ど部屋の中、たまに外に出ることはあったが毎日時間が経たない、思うことはやりかけた仕事のことばかり、血液検査の結果退院の許可が下りたときには、やはり健康が1番と感じた。退院すると持病がなくなり、手術してくれた医師やスタッフその他の人たちに感謝の思いが湧いてきた。人はその時その時の境遇で考えが変わってしまう、躰に異変が起きると平素の思考が変わってくるものです、そんなことを思いながら幸せとは本当に五体満足で不住なく生活できること、つまり健康が1番の幸せであると感じた。なんでも長年使うとガタが来る、私もそういう年になった、これからは躰を大切にし、健康を維持していくには毎日規則正しい日々を送ることと、自分なりの奉仕を考えそれを持続して行くことです。
外断熱工法は県内で初めてオリジナルで行ったのが我が社、一般的にはグラスウール断熱材、グラスウールは施工時に微粒子が舞う、躰についたり吸ったり職人たちには決して健康にいいものではない、それに気密が取れないので断熱効果が低い、わが家で天井裏100mm2重に敷き詰めても、夏の熱気は上昇するが天井から降りてくるぐらい断熱効果が取れにくい、そこで性能の良い板上のものを探し、家そのものを包むことにした、つまり外断熱である。外壁の断熱材はずり落ちないようにすること、屋根は人が乗っても滑らない破損しない丈夫なものを選んだ。全面外断熱で建築確認を出したときも役所の人が知らないで、初めてといわれ躊躇された、それだけ早くから行っていた。完成した住まいの性能は目を見張るぐらい断熱効果があったが、最初の住まいでペアーガラスを無理に強いらなかった為、寒い時期ガラス窓に結露がすごく出た、性能が良いので外気と接する窓には温度差が大きく露天温度に達し結露だらけになってしまった。天然木を表す我が社の施工は家の中で温度差ができると相対湿度が変わってくるから木材や木の建具など歪や反りが発生する、だからどこに行っても温度差ができないように県内では1番の性能の住まいなのです。冬大体居室を中心にエアコンや暖房器具を使うそのため、トイレ・洗面・物入れなど建具で仕切るので温度差が発生する、だから冬の暖房器具を付けたら、暖房器具のつけてない場所は建具など開けておく、3~4日すれば床・壁・天井が蓄熱するのでそのあとは温度差はそんなにないので木材や木の建具はあまり変化は出ない。木の家づくりは何処にいても温度差がないようにすることが基本、家の中の絶対湿度は何処に行っても同じですので、温度差ができない限り相対湿度は変わらない、相対湿度が変わらなければ全体的に膨張や収縮を繰り返すだけです、これが本当の調湿効果になるのです。
平素は現場に行かないが完成邸だけは反省がないかどれだけ進歩しているか気がかりなところである。行くと必ず何かが見つかる設計段階ではわからないが実際に出来上がりを見ると鮮明に反省が解る、紙上や画像と現物の差はある。大工・左官職人の技術の向上は益々上達しているのがわかるし、氣のこもりも感ずる割合が相当増えている。技術的なことは殆んどの現場でも変わらない、昔と違うのは傷がないことが1番進歩している、本当にきれいに仕上がっているのです。工事をする人たちの心得が昔と全然違ってきたように思う、だから最近は無地物の使用が増えてよりきれいになるのです。完成邸や上棟後しか行かないので3者的に見ることができ、もう一寸考えればと思うところが一つぐらいは見つかるものです、特にエレベーションは目に留まります、一番目につくのは基礎巾木これがどの家でも違和感があるが、外構などで調整できるところは良いが、どうしてもできないところがある、立ち上げ基礎高を下げても基準法がありあまり下げれない、ギリギリ下げても床下点検ができなくなったりする、難しところです。技術者の育成に力を入れてきたが、私はあまり褒めないで甘やかさないできた、小学高学年のころ家で宿題する時間がないので、放課後教室に残って一人宿題をしていた、それを担任教師が見て学級新聞の取り上げられた、その教師は決して嫌いな先生ではないがそ~としてもらいたかった、その後のみんなの冷やかしのほうが嫌だった(笑。昨今私が指導した職人たちが昔の厳しさを思い出し、涙ながら話をしている姿も見たり聞いたりした、最近は自分が出来なくなったので褒めることが多い。我が社は昔から住まい手と造りてがお互い理解し契約・着工・完成・引き渡しそれから後も維持管理を含め永いお付き合いが始まる、大切なお金をいただいて大切な家を提供する、このご縁で私たちは生活していけるのです本当にありがたいことです、いつまでも住まい手の方と付き合いができることは、その住まいの変化を気楽に見ることでき今の住まいが生まれたのです。近年は社員と協力業者の調和も相当良い、工期の短縮と完成邸がよりきれいに仕上がっていると思う、これも社員が何十年も『気持ちを込めた木持の良い家』づくりに培ってきた証拠でもあるのです。
一昨年急に孫が渋谷に行きたいと云い、いろいろ考えてまあいいか~、そんなことで日帰りに行くことにした、何も言わずに行ったから帰ってからのパッシングのほうが大きい、日帰りはもったいないことはわかるが孫も私も翌日用事があったので夜の便で帰ってきた。今回孫は春休みで一緒にいることが多く、今回も東京に行こうと強請られた。今年度から中学生になる孫、考えれば私についてくるのも時間の問題そう思うと連れて行こうと思い、2泊3日で東京の名所を回ることにした、有明の東京ベイコート俱楽部ホテル(妹の勧めで一寸贅沢なホテル)に予約し、1日目は朝早い便の飛行機に乗って羽田、持ち物を配送サービスに頼み、曇り空の中で霞んで見えるがスカイツリーで東京の街並みを見せた、ついでに冷たい美味しいビールも頂いた(笑い、そのあとレトロな浅草の雷門に行き人力車などに乗せた、近くの上野公園に行く予定でであったが、移動やスカイツリーや浅草で時間を費やしたので、仕方なくひとまずホテルを目指したが、ホテルに行く途中で寿司好きな孫のために豊洲の寿司を夕食に選んだ、私も一杯飲みながら孫と二人だけの美味しい握り寿司を楽しんだ、食べた後ホテルまで歩くといったので、2Kの道のりを楽しく歩いた、ホテルに着いたのは7時過ぎだった。2日は雲一つない晴天に恵まれ渋谷から原宿の竹下通りで孫と時間を費やす、それから昨日行けなかった上野に行き最後に東京駅で降りる、それから1杯飲みながら夕食を食べてホテルに行く、ホテルに着くと孫がプールに入りたいという、せがまれ私も入ることにした、焼酎を2合ほど飲んでいたので久しぶりの水泳もきつかった(笑い。3日は6時30分には孫がプールにそのあと9時予約の朝食、ホテルを早めに出てお台場に行く、この日は朝から雨で近距離ながらタクシーを利用する、いろいろ見て回り最後は孫が乗りたいと言っていたモノレールに乗って羽田空港そして夕方の便で大分空港に帰ってきた。孫のために私鉄やJRに乗ったり自動切符売り場で切符を買わせたり、乗り越しても自動精算機があるそんなアナログのようなことも教えた、各名所への入場料の自動販売機などほとんど孫に任せた。喧嘩も良くしながら、いろんなところに行った、因みに1日目が13000歩ぐらい2日目が15500歩ぐらい3日めが11000歩ぐらい・・・疲れました、そんな凸凹コンビで孫との思い出ができた2泊3日の楽しい旅でした。
春は木の芽時と言われ何もかも変わってくる、自然の力3寒4温で温度差は大きい、それで相対湿度も変わってくる、おまけに花粉の季節、年度変わり、精神的にも肉体的にもストレスを感じやすいが、いろんな美しい花が咲く、新緑も美しい。毎年2月の半ばに入るとウォーキングコースに250~300本ほどの河津桜の並木がある、2月14日ごろから咲き始め2月20日ごろが満開でとても見頃で美しい、この時期は雨がよく降るから花がすぐに散る、今年は雨が少なかったので美しい花を長く見られた。私は花粉アレルギーでマスクは欠かせないが、昨今何が原因かわからず滅多に出ない熱が出た、何日か前から寒気がして節々が痛く体がだるい、もうろうとしたこともあった、家族のものが体温を計ってと言われ、計ったところが38,5だった、37,3以上の熱が出たのはあまり記憶にない、もともと体温は低いから熱には弱い、何もせずに3日ほど安静に寝ていたら熱は微熱に下がった。この時期に植える野菜の床づくり、植えものや種まきなどすることが多い季節、雨もよく降るので雑草はよく伸びる草取りも欠かせない。1週間程養生した後畑に行ってみて驚いた、2~3月収穫時期の白菜が1回収穫したばかりですでにきれいにとうがたち美しい花が咲いているのです、水菜の花、大根の花もちらほら、美しい菜の花でいっぱい、寝こみから覚めても覚めないでも、花畑に...。そんな思いを娘に言ったら「川は見えなかった」かと言われた、あちらの花畑にはまだやりたいことが沢山あるのでしばらくは行きたくない(笑い。明日からは頑張だけ。
