カテゴリーアーカイブ: ちょこちょこ独り言

手づくり


木造住宅の構造は殆ど機械化したプレカット、造作もただ組み立てるだけが主流、それなのに何故我が社は手づくりに拘るか、手づくりの一番は機械では出来ない人の氣(魂)を込めることが出来るからである、それには生きた自然素材が不可欠になるのです、新建材では生きたものが出来ない、だから我が社はクロス張りも合板も使用しないのです。
生きた自然素材に氣を込めれば益々生きてくるからです、その氣を込めることが大変難しいのです、チャランポランしていたら失敗して素材は死んでしまう、材を生かすには集中力が不可欠になるのです、長い工事期間中に無心の集中力を高めたほど氣が生まれ、生きたすまいが出来るのです。
完成した空間を潜ると、何とも言えない胸を締め付けるような気持ちの良い感覚を享受することが出来る、この野性的と云うべき感覚を持っている人は数多い、お客様で玄関に入った刹那に・・・何この気持ちの良い感覚は・・・なに~・・・多くの人から聞いた、目で見たものでなく心で感じたものだから忘れようがないのです。
何十年も前の頃、自然巣材100パーセントで精魂込めて造った住まいで一年経っても気持ちの良い「氣」は感じた、求めていたものが鮮明になり、自然素材+手づくりは絶対に続けて行こうと思った、それから性能や安心・安全等を取り組んで今日に至っている。
この仕事が大変なのは解るが、手づくりをして来て貴重な大切さが解ってきた、古民家再生も増改築も手づくり・手加工でやってきたから出来るのです、もし機械化にしていたら古民家のリノベ等はできないし、色々なドラマは生まれなかったでしょう。後継者育成には手づくりは不可欠です。

手づくりは「魂」をどれだけ込めかで「物」が生きてくる。
手づくりは神秘な「場」を提供することが出来る。
手づくりは人の心を癒してくれる。
手づくりはその人の性格が表れる。
手づくりは究極の「物」が出来る。
手づくりは永遠に輝き続ける。
手づくりは希少な技。
手づくりは誰でもできるがその差は大きい。
手づくりは豊かな心を持った人しか理解できない。
手づくりは元祖。
手づくりは健全な心を育む。
手づくりは化身を生む
手づくりは自分の意志で形が変わる。
手づくりはその人の人格の核を宿す。
手づくりは生かすも殺すもつくりて次第。
手づくりは材を選ぶが機械は選ばない。
手づくりは時が経つにつれ特徴が増す。
手づくりは材とのにらめっこから始まる。
手づくりは時には泣きたくなることもある。
手づくりは静のイメージ・機械は動イメージ
手づくりは飽きないが機械化は飽きる。
手づくりの価値は人による。
手づくりは均一なものが出来ないが、個々の価値はある。
手づくりは時間が掛かるが決して無駄な時間ではない。
手づくりは規模が小さく感ずるが世界の貴重な遺産は全て手作りで出来ている。
手づくりは物と己の葛藤。
手づくりはややもすると投げ出したくなる。
手づくりは永い歴史がある。
手づくりは間違いがあっても嘘はない。

人間は進歩か退歩かのいずれであってその中間はない、現状維持と思うのは実は退歩している証拠である。森信三先生の言葉。

私は朝礼などで云う、世の中すべての物や物事が進化・進歩している、我社もすべてが進歩して当たり前なのです、自然の運行と調和し生きていくことは、自然の中で生まれ自然とともにあるすべての生き物の頂点である人間の務め、近年環境破壊・地球温暖化は自然の運行を考えない愚かなこと、このままいけば何時しか考えられない自然の猛威に遭遇するでしょう、培ってきたものすべてを失うことになる。

どうせ生き、仕事をするのであれば持続可能な資源を使い、環境に本当に優しいし仕事。

持続可能な健康住宅の源は自然の中で生まれてきた人間だから、生きた自然素材の中にあると思う。

そんな健康住宅も、のんびりだらりと取り組んだら、自然のように生きてこない、生きた住まいづくりはつくり手の集中力から生まれる、つまり『魂』を込めるということ、これが手づくり・手刻みしかできない紛れもない事実なのです。

人間性も今日より明日というように成長して当たり前のことです、日々成長していく豊かな広い心を持った職人たちが目いっぱいの『魂』を詰め込めれば必ず生きたすまいは出来ます、『自然素材+魂』これこそが安らぎを感ずる究極の『場』と云ってよいでしょう。

浮き草

私は小学校の時から大工になるという思いを文集に残していたが、かっこいい車を見るたびに車に魅かれるようになった、中学卒業後の進路は整備工になりたいと親父に伝えた、さして反対はされなかったけれど、当時の自動車整備士の学校は競争率が高かった、確か8倍ぐらいの競争率、これは素直に無理だと諦め、たまたま建築家は3.5倍ぐらい,大工はもともと嫌ではなかったから受けてみよう、そんな安易な気持ちで受けた、学科と面接と簡単な実地試験が行われた、面接や実地試験は全くダメと思ったそれでも合格通知が来た(笑。

それから建築課に入り大工を志すようになった、卒業と同時に近くの大工親方に弟子入りし2年経った頃帰宅途中で、飲酒運転の車に激突され、骨折や血まみれで意識不明の状態、この時親父は私の生存は諦めていたと後から聞いた、目を覚ましたのは病院のベットの上だった、運よく一命を取り止め11ヶ月後に退院、そしてリハビリをして2年目に復帰する、完治にはならないが何とか大工仕事を続けることが出来るようになった、それから独立を考え必要な資格試験を取り、27歳の時に建設業と設計事務所の業者登録を済ませた。元請けはなく下請けや孫請けばかりであった、ハウスメーカーの孫請けも2~3年ぐらいした、利益はあったが御施主様の顔と名前は憶えていない、どうせ造るのであれば住まい手の顔が残る、やりがいや思い出のある木造住宅1本に絞った。

だんだん好きになってきた木造住宅、この素晴らしい手刻み・手加工の住まいづくりを後世に残すには、ビジョンとして後継者育成は欠かせない、どうせ造るのであれば感動する住まいづくり『気持ちを込めた木持ちの良い家』これしかないと思い、それをやるには何が必要かを考えた結果、地産の自然材料で高性能な健康住宅・安心・安全を取り入れた無垢の住まい・超長寿命のすまいを安く造る等、住まい手側に立った考えと作りて側に立った考え、誰でも出来ない遣り甲斐があるものを造ろう等を目標・目的として今日まで来た、71才になったが全てに於いて改革は山ほどある、限りない究極の住まいづくりはまだまだ続く。

自然の恩恵

1970年以降急速に自然資本(空気・水・土地・植物・動物からなる天然資源)は減少してきた。自然の恩恵を正しく使わず、経済的な豊かさだけを追求した結果、自然も人の心も荒れてきた。安定供給の為か無駄な消費が多い、大企業は本当に持続可能な商品を造っているのかわからない。

スーパーの農作物売り場を見てもキズ1つなく同じ大きさの作物がきれいに包装されて並んでいる。2年ほど前から野菜を作っているけど、大小は勿論、形も変形しているし、虫食いのあとはあるものばかり、店頭に並んでいるようなものは1割も出来ない、全くできない物も何種類かあった、それでも野菜作りは楽しい。

化学肥料や農薬は殆ど使っていない、身体に良いものを作ると同時に化学肥料や農薬を使わなければ土壌の豊かさが回復し、生物多様性や保水性、土壌本来の炭素固定能力が回復するからです。

会社の焼却炉から出た木灰(カリ)を肥料に、それを農薬代わりに野菜の葉に薄く振りかける、風が吹いたり、雨にあたるとすぐに落ちるが、まめにやれば夏キャベツでも結構良いものが出来る。鋸くずや鉋屑は発芽したり、乾燥防止に役に立つ、ほどなく微生物が食べ土に返る、廃材が出れば獣の囲いに使う、雨水収集タンクも木製で作った、2年して水漏れが発生したが。(笑い

今までが木材関係ばかりであったが、同じ自然資本であるが、野菜作りは食べ物であるので、誰でも味わうことが出来る。小さな事でも皆が意識してやれば地球環境は変わる、サステナブルな未来は全人類の課題です。

運命・宿命・天命

ある新聞記事の一コマに経営者仲間の人生はどういうものかとの問いにある人は、「人は『宿命に耐え』『運命に戯れ』『使命に生きる』」ある人は「天命に従い、授かった一つの命を大切にして、『運』『ご縁』に感謝して生きる」・・・この言葉にすごく感銘を受けた。

「運命と云うものは自分の力で変えられるけれど、宿命は変えられない、そしてそれを取り巻くものが天命である」と有名な誰かが云っていた。

自分の人生観と云えば、正直運命も宿命もはっきり表現できないのです、『運』ということでも戦国時代や戦争時のように何時どうなるかわからない時代は、確かに『運』が強ければ生き延びる等・・・と思っていた、今の社会は努力さえすればある程度までは実現できる、『運』は10%ぐらいと思っていた、随分前にある社長に経営における『運』の割合を聞いたことがある、その社長は80~90%は『運』と云っていたが、この年になって『運』とか『ご縁』ということを思うようになってきたのです、毎日がむしゃらだったトップの座から降りて、ゆとりが出来たせいか、今あるのは皆のお蔭で決して自分だけの力ではない、ご縁と運があっての事と深く感謝している。

35年前になるか、魅力ある職人集団をつくるため、後継者育成を掲げたとき、そんな馬鹿なことは(今の若者は気が短くて続かない、仮に一人前になっても、賃金の高いところや働く環境の良いところにすぐに行く、恩や義理はない)やめろと随分周りから揶揄や反対されたが、頑固に実行していったが何年たっても思うようにはいかない、まず若者が集まらないし、来ても技術を習得が出来ない、厳しく云えばすぐにやめる、一日しか持たなかった若者もいる、指導が悪いせいもあると思うが、随分入っては出て入った。自分が修得出来たのだから自分のやってきたことを伝授すればと思っていた、何回もチャレンジしてもうこれでだめなら終わりにしようとまで思った、その最後の時に一人の若者が光明の兆しが見え始めた、これは本当に良き『ご縁』であり『運』が良かったと思うようになったのです。『ご縁』・『運』のお蔭で運命は変わる、これからも反省をしながら良い運命を送りたい、それが宿命だと思う。