投稿者アーカイブ: 藤丸直行

今も昔も

古い長持ちを壊していたら和釘(4角釘で巻頭釘)で止めてあった、長持ちの内側に貼ってあった新聞は昭和30年の朝日新聞でした、ということは65年は経っている、ついでにその新聞の一部、一般からの投稿記事に目を通してみると、農業をしてなくて貧困の暮らしをしていた38歳の鹿児島の女性からでした、内容は何時も近隣の人から大根やキャベツ・白菜等を頂いていたとのこと、お返しが何もできないのに皆さんからいただいて何とか御恩返しをしたいといつも頭に入れておいたそうです、ある時菊の花をもらって挿し木にしていたら根が付いた、それから増やすようになり近隣の人に分けてあげたら、花まで作る余裕はないと云われて喜んでくれたそうです、それからだんだんいろんな花を増やしていったそうです、ある日、中学生の娘から「花言葉があるのを知っている」と聞かれたが花の名前も分らないのに…そう思ったそうです。近隣の方に恩返しをしたい一身で作っている素朴な女性の姿が目に浮かぶ、私の周りがこの方と同じで毎日のように野菜を差し入れしてくれる、場合によっては料理までして頂いております、両親が残した畑が少々あるので苗木までいただいています、収穫には草が生えて程遠いが(笑い。 今大変な世の中ですが悪いことは大きく取られる、良いことも沢山あるのです、生きていることに感謝しましょう。

『先日はごちそうさまでした』・先日はありがとうございました』

後継者育成を取り組んで30年ぐらい経つが、素晴らしい仕事なので何んとか若者に継承して後継者を増やしていきたい、折角志して入社してきても0~3年で辞めてしまう人が多いので何とかしたい、せめて棟梁になって巣立ってもらいたいが「立つ鳥跡を濁さず」はもう死語に等しいようです、世話になった恩をいつまでも忘れずにいる人は稀である、教えていただいたという気持ちが解らないからすぐに辞める、一人前になっても薄れてしまう人もいる、私たちの時代はそうした御恩を受けた人がいたら、盆暮には粗品を恩返しの意味で送り続ける、同じように御恩を受けた御施主様の住まいを終身面倒を見るのが当たり前と思っているのです、我々世代が持ち続けた何時までも忘れない。『先日は・・・』若い社員たちにこうした当たり前な心を養うには感謝や御恩を忘れずにいることです・・・といつも云っている、正直に言うと感謝の言葉を練習までしている、本当に心から身についている子も多くなっている、『先日はごちそうさまでした』・『先日はありがとうございました』この気持ちをいつまでも忘れずに持ち続けてほしいものです。

限りない成長

昨年の11月3棟上棟・12月2棟上棟・1月1棟上棟、11月Y邸様担当山崎班・T邸様担当平倉班・G邸様担当阿南班・H邸様担当飯尾班・Y邸様担当成合班・今年M邸担当安部班、この6棟の建て方に参加する、6棟とも墨付け刻みの手加工が明らかに成長していますが、中でも先月上棟した安部棟梁は20年になるがいまだに凄まじく成長し続けている、初心者やのんびりしている棟梁は差が広がるばかりです、手刻み・手加工の技術は3年たてば急激に伸びるが、早い人で5年もすれば1棟丸ごと墨付け・刻みができる、10年でできれば良いと思う、技術の世界にしろなんでも、極るとなれば限りなく奥が深い、我が社の若者たちは間違いなく進化し続けているのです、上棟作業もこの年になれば追ていくにはやっとです、今年でこの道半世紀以上歩んできたが、不思議と辛かったり・苦しかったりという記憶は日が立てば忘れる、寧ろ成長続ける若い社員に年月を経る毎に応援したい気持ちの方が実感してくる、人に環境に本当にこれだけ良い住まいづくりを多くの人に知ってもらいたい思いが強まっています。

2020年

今日から仕事始めお屠蘇を皆でいただき、護国神社に社員の安全祈願に詣でた、(個人的には1日に地元の神社に、2日に竹田の扇森神社に参拝するのが恒例です。)社員の大半は3日に年始に来るので、この日に逢うのは僅か、今月から来月まで年末の続きで大変忙しい、今年は存在のアピールを込めて『熱意と情熱』をテーマに掲げた。どの新聞も景気は下降する様ですが、今年は東京オリンピックが開催されます、大分のラグビーワールドカップも150万にもの来県があり相当な相乗効果があったように、東京オリンピックの相乗効果は計り知れないぐらいあると思います、大会後の景気動向は危惧しているようですが、私たちは景気に左右されない独特なすまいづくりを今年も構築していく所存です、明日から又肉体的な仕事に専念する一方、段取りや管理棟の整理整頓等も徹底的に行うこれが私の目標です、皆さま今年もよろしくお願いします、又どなた様も健康にご留意ください。

昨年の11月・12月

ブログも下書き状態になっていたので今日公開します。昨年の11月から年末まで本当に忙しく身体を使った労働で1日も休めなかった、正直年末は倒れるのかと思ったぐらい身体を酷使した、決算が12月ということでどうしても今期に完工を目指さなければならない物件と来年の初春には引き渡しの物件が重なったせいもあって過去にないほど大工仕事をしたのです、私だけでなく社長も設計の神田君も大工仕事をしたのです、時に私は思ったほど仕事が出来なかったことから時間をかけるようになった、だから毎日休みなしに働いた体重も72kまで何十年ぶりか落ちた、社員の忘年会を27日の夜にしてあげたがへとへとでした、ブログは時間がないのではなく書く意欲がなかったのです。昨年は本当に御施主様や協力業者の皆さんにはお世話になりました、昨年同様に今年もよろしくお願いいたします。