投稿者アーカイブ: 藤丸直行

設計

大工職人をしながら指名等受け設計もある程度手掛けた、まず現場に行き、周りの樹木を見たり近隣の住宅を見て、何処から一番風が吹くのかを見るためです、樹木の枝ぶりや近隣住宅の塗装の剝がれや痛みなどを見るのです(アメダスのデーターも参考にしている)、それにその宅地内で地磁気の発生を調べたりしていた、地磁気の悪いところは沢山あるからです、風通しがよく安心して就寝出来るプランを最優先してきたが、忙しく確認申請は他に任せていた、そんな中設計CADの売り込みに来た、実際に見て感動したこれからはCADの時代と直感した、だが金額を聞けば高額それに更新料や維持費もかかるしそんなお金は当然ない、それを買っても扱う人はこの当時自分しかいない中、買って宝の持ち腐れになるようなことは絶対したくない、自分でやる気が沸くまで待ってくださいと云った、それから1年~2年ぐらいたったと思う、「やる気が出たので直ぐに持ってきて」、条件は2週間付きっ切りで指導を条件に購入した、購入したその日から朝の3時頃まで指導を受けた、次の日は夜中の12時過ぎ、こうして1週間たち大分解るようになり、何とか2週間で使えるようになった、やる気があったので挫けることはなかったが、2週間続いたので頭が割れるくらい痛かった、そのCADは設計だけでなく積算とか当時の後継者育成など多方面に利用していた、当時出たてのデッカイプロゼクター(補助金で頂いた)を囲んで完成予想画面とか構造部材の立ち上げなど3Dで見て上棟などの組み方を指導していたし、仕様説明をする際にも使った、立体的にどこからも見えるので御施主様も分りやすいと云っていた。印象に残っている設計は、どんなイメージが良いですか聞いたら、顧客から『ドカーン』とした住まいを造ってほしいと言われた、『ドカーン』ですか😹、ハイ解りました、実際に完成して気にいってもらったが反省も沢山ある、その御施主様の奥様が現代アルプ総合展示場でコンセルジュをして頂いている、もう20年以上経ってると思うが本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

住宅フェア

最初の住宅フェアは30年前頃、地域ビルダー主体の住宅フェアに出展してくださいという話があった、個人経営(建設業者と設計事務所は登録済)で今のように宅建の資格もないので、宅建業者は他社に依頼、良いチャンスだからすぐに参加の返事をした、プラン等を設計士(倭居設計の山本氏)と打合せ、やる気満々で提案を主体ビルダーに提出したらあまりにもエレベーションが奇抜でこのフェアに合わないと却下された、このエレベーションは大手メーカーの全国規模で行われた木造住宅コンクールに出品して最優秀賞に輝いた作品のエレベーションを用いた、このままでは折角準備してきたことが駄目になる、この企画のビルダーに出向いて、このエレベーションでなければ出展は遠慮する旨を伝えた、諦めていたが何日かしたら許可が下りた、この住宅フェアは一か月展示してその後は売却するやり方、一ヵ月あれば見込み顧客も現れるし売却も可能と思った、大工工事をしながら打ち合わせやら営業的にも忙しかった、いろんな方の御協力で完成した展示住宅は一際目立った、顧客の方々にも反応が非常に良い、1ヶ月で1000組の来場があったいよいよ販売、私は人見知りするタイプで営業職はそもそも苦手だが自分がやらなければ誰もいない、アンケート用紙をチェックしながら、スーツを着ていざ営業、しかしなかなかうまくいかない、建物が人気があっても直ぐには売れるものではない、この時は本当に良い経験をした、一人の顧客に数十回伺ったこともある、6ヶ月ぐらいたって何とか売却が出来たときは本当に嬉しかった。お蔭でこのモデルハウスを通じて10棟程度契約出来、人とのつながりも増えた、今後の展開は営業マンや職人の育成等色んな事が頭に過る、今までこんなにも昼夜動いたことはない、もし売却出来なければ破産していたと思う、今も我が社の設計をしている倭居設計の山本氏にはいまだにお世話になっているし、感謝の気持ちは忘れない。こうした設計力があったから沢山の賞状を頂いている、全国・別府・大分すべて最優秀賞を頂いている、大分の豊の国木造建築大賞は特に沢山頂いた。

20年頃前ある日突然御施主様達が自ら我が社のファンクラブを立ち上げた、毎年御施主様とソフトボール大会をしていたので、ファンクラブの人達はフジマルファンズと書いたTシャツまで作っていたので本当にビックリした、当時は現役バリバリの時で、技術改革・後継者育成でまともにその日のうちに家に帰ることはなかった、専門誌は読みあせるし、住まいづくりの勉強会や講演会等各県に相当行った、決められたことを数えたら年間400以上あった、そんな中でのファンクラブ、勿論嬉しいが責任感はもっと増してきた、ある年杉乃井ホテルでの新年会では、御施主様からステージに上がってと云われ社員が全員ステージに上がり、緞帳で仕切られ「絶対に良いと云うまでまで覗かないでください」、そして緞帳が開き、目の前に手づくりの超でっかいケーキを囲み御施主様が全員綺麗に座っていた、我が社に対して日頃の感謝の気持ちを云われ、そのケーキを囲み全員(60名ぐらい)で記念写真を撮った、その時私が初めて真ん中に入たのです、(社員にはこれからは若者の時代、何時も真ん中にいなさいと言ってきた)、そのあと全員でケーキを御馳走になった、事もあろうにその貴重な写真はパソコンのデーターが壊れてしまって亡くなった、そうしたパフォーマンスを御施主様から毎年頂いた、当然今でも交流はしています。嬉しい思い出も沢山あるが、失敗やうまくいかなかった現場の方が強く印象に残っている、前回の雨漏りのような時は、大きな台風が来るたびに待機をして、住て手の方に電話を入れていたし電話番もしていた(今も継続している)、事が起きれば梯子など積んで出動の準備をしていたのです、どんな時間でもどんな暴風でも必ず現場に急行した、ある時は暴風で仮設のトイレが倒れたと電話があり急行する、ある時はシートが剥がれたり、ある時は暴風の中真夜中に8人がかりで漏水の原因を調査した、ある時は注意はしていたが社員が屋根に上がり滑り落ちて鎖骨を折って入院、この時ばかりは大反省、2度とあってはならない、こうした事象があるから今の工法が生まれた(今の瓦屋根はたとえ瓦が全部なくなっても雨漏りしない我が社独自の工法)、暴風の中我が社の車だけが走っていたように思う、うまくいった現場は当然沢山あったが、当時はなにをするにも改革や反省でガムシャラでした、教育会館ですまいづくり講演会もしたが一人も来なかった、何回かチラシを入れて初めて一人来たのを鮮明に覚えている、自社だけの後援会は長くは続かなかった、色んな事にチャレンジしてみた。何をするにもファンファンクラブは会社の支えであるし、社員はこの絆を大切にしてもらいたい。

雨漏り

殆どが大壁構造の中、我が社の住まいは基本が真壁構造(一般の柱が見えている)である、柱が見えることは世界に一つしかない木目が見え飽きが来なくて安らぎがある、休むという字は人が木に寄り添うとかく、真壁構法の弱点は手作業になり手間がかかる、大壁構造は機械化できるから安く造れる。真壁構法はおちょこ一杯の水でも染みが出来るから雨漏りが解る、30年前までは我が社もビニールクロスを貼っていた、そのクロスの天井に袋が出来たということで見に行った、見ると大きな袋が出来ているのです、御施主様の了解で切り込みを入れた、何と水がしたたり落ちてきたのです、直ぐに雑巾バケツを用意したがなんと2杯分以上の水が出てきたのです、原因はベランダ(シート防水)で動物を飼っていて動物がシート食い破り、そこから雨水が入ってクロスの天井に袋が出来たのです、バケツ2杯の水でも漏らないのには驚いた、我が家も43年前に建てた住まいで台風の時にポツンというおとがするので屋根裏に上がってみると天井裏がかなり濡れていたがクロス貼りなので室内には雨漏りの後がない。大壁構造で外部アルミサッシの入隅にビニールの漏水防止を殆ど施工しているが、(アルミサッシの4隅は薄い防水パッキンを挟んでビス止めしている、地震や劣化で緩み必ず漏水する、場合によっては1年で漏ることもある、樹脂サッシは溶着している)これって漏水しても表には出ない、外に出れば良いけど壁の中に必ず落ちるのです、壁の中は充填断熱そしてボードがありクロス仕上げになっています、天井と違い壁だからすぐに漏水は落ちて目に見えるところには出てこないのです、改装工事も手掛けているので雨漏りの跡が解る、我が社にもサッシメーカーから勧められたが、邪道なやり方を拒んだ、あくまで水染みが出来たら原因を調べて手直しをするのです、古民家はなぜ100年も200年も永く持ったのか、原因は真壁構造でこうした雨漏りの跡が即わかるから早く対処できたからのです、木造の住まいは見えないところに雨漏りをさせてはいけないのです、我が社の周りに立て干し板は、濡れても直ぐに水が下に落ちて乾くから10年雨ざらかしにしても腐らない、(紫外線や風による劣化は1年に0.5mm程度ある)。大壁構法の住まいづくりは漏水していても解らないからすまい手つくり手が安心していられる・・・これって?

ある御施主様との思いで

27年前に建てた一部店舗付きの2階建てすまいは、ご夫妻2人の要望で広い屋上バルコニーがついている、当初出たてのFRP防水仕上げ、1階の外壁が今と同じ杉板張り、2階をモルタル塗りグラスト吹付仕上(今はジョリパット塗り仕上げ)、内部の床板や階段は200年以上経った高級木曾檜を使用、(今でもすごく美しい)壁は珪藻土を塗っている。後継者育成の中、若者(4名)中心で工事を行ったが、建て方から技術不足で思うように進捗しなかった、おまけに建て方の最中に兄弟の訃報が入り県外へ行く、建て方の最中に中途半端で御施主様には大変申し訳ないが現場を後にした。そんな現場でしたがご夫妻から御理解していただき何とか完成することが出来たが、引き渡しの後まもなくして台風が接近してきた、それ程大きくない台風でしたが、風通しの良いこのすまいは、横殴りの雨に逢い最悪の雨漏りがした、すぐに行って原因を調べたら板金と壁との間が怪しい、そこを直したがまだ雨漏りは止まらない、暴風の時だけ漏るとのことで御施主様ご主人と屋根裏に上がって見ると、軒裏の換気口から入っているようで半分つぶした、今度こそ大丈夫と思っていたが又台風が接近して、じわり水染みが発生した、直ぐに駆けつけ本当に申し訳なく謝罪をして漏水箇所を見て原因調査をしてみたが直ぐにわからず、高圧洗浄機で壁等に噴射しても雨漏りがしない、しかし台風の時だけ必ず漏る、やっと見つかったのがサッシの開き戸のラッチの穴から入っているのが解った、それを直して今度こそ大丈夫だろうと思った、そして台風が来るたびにこちらから状況を聞く、何度か台風が来て漏水しなかったので安心していたら、ある年強い台風が接近して夜中に水染みの電話があった、又かと思いながら直ぐに駆けつけてすごい暴風の中で原因を調べた、この強い台風で雨漏りは2~3棟あったので手分けして現場に行った、私はこの現場で申し訳ない状態の中、御施主様自ら暴風の中で調べた、相当時間が経った後、壁に薄いヒビが入っているのが解った、御施主様と確認してヒビが入った箇所を測定、夜の暴風の中では手直しが出来ないので、夜明けに来ることを了承して帰ることにした、あくる日に再び現場に数人で行ってみると昨夜のヒビがなくなっているのです、寸法まで取って帰ったから位置がわかるが肉眼ではどう見ても解らない、暴風雨の強さを改めて知った。最初の雨漏りから相当年月が経った、最後は足場をかけてきちんと塗り替え全面吹付を行い、バルコニーもFRPも上塗りをかけて詫びた。その後は御施主様のご主人と釣り友達になり何回も一緒いった、また奥様からは長引いて失態を犯したにもかかわらず、色んなことで随分かわいがってもらった、夜中に行くと雨漏りの最中でも決まって夜食を出してくれた、本当は罵声が飛んできてもおかしくない状態、雨漏りが解決できた後も随分お邪魔した、そして色んなことを指導してくれた、仕事の紹介も何件か頂いた、御厚情に授かったその奥様が昨年急に逝去された、たまに顔を出しているでまさかと思った、知らせを受け当時入院中であったので退院して伺った、奥様のお骨の前で御心経を唱えるも感極まる、いつも心の支えになってくれた御施主様である奥様に心から感謝しているし、ご冥福を衷心よりお祈りしています。