投稿者アーカイブ: 藤丸 直行

後継者育成その12

 今年も大工見習いの新入社員が3名入った、この20年間毎年何人か入ってくる様になったことは嬉しい限りであるが、厳しい修行に耐えられなくなり辞めてしまう子もいるのも事実、本当は全員一人前の棟梁になって卒業して貰いたい気持ちですが、教え方が悪いせいか、技術面の習得が出来なかったり、当たり前のソフト面が分からない子が途中で挫折することもある。

 このソフト面の教育は殆ど当たり前のことばかり、この当たり前のことが言えない・出来ないのが事実だった、20年前上棟式等の後、直会でも「頂きます・ご馳走様でした」…で終わってしまう子が殆ど、数日経って再び施主様にお会いしても、前日何時間も労のねぎらい等を受けたにも関わらず感謝の気持ちを態度や言葉に表さない、「こりゃ〜可笑しい」という事で感謝の言葉「(先日・夕べ・その節・この前)はありがとうございました」の練習を私が事あるたびに言わせた、何と率先して全員言えるようになったのが2年もかかった、この事だけでも当たり前の事がこんなに出来ない、当時の言葉にはマニアルであって心がない、存在のアピールは心が必要そのためには、一番一流と名の着く飲食店やホテルや旅館での宿泊宴会又海外研修等視察に行き、応用力や感性教育を行った、特に海外研修では多くの若者達が帰国後に大きな成長を感じられるようになって来た、経費は掛かるが今後も海外研修は続けていくつもりでいる。

 ツールや部品を2〜3に絞り依り早く技術の習得向上,それに少ないツールを使い分ける応用力を養い、一流の飲食・賄い等堪能し又海外では豊かな感性を養い、今やっと心のこもった建物や豊かな心を持った社員が全員とは云わないが多く育った事は間違いがない、キャッチフレーズの「気持ちを込めた木持ちの良い家」今後ももっともっと気持ちが入り「品質や性能の向上・地産地消・感動のすまい」このぶれる事のない4Dのすまいづくりそれに後継者の育成は当然として続けていく方針です。

 これも多くの施主様やファンクラブ・ファンの方々それに惜しみなく協力をしてくださった、協力業者の皆さん方に出逢ったからここまでこれました、小さな事・目先の経験しか書けなかったけど心から感謝を申し上げ真に勝手ながら後継者育成のブログを休ませて戴きます、ありがとうございました。                           

後継者育成その11

年配の熟練工がいろいろ言うたり、動いて働いても当たり前に思うし、差して何も感じられないのが普通ですが、まだ若い人達がひたむき一生懸命に動いている姿勢は、すがすがしく気持ちが良い。ひげが伸びていてもファション間隔に取れる場合もある、(えっとないひげを鏡の前で毎日剃りながらそう思った事もある。)この若者達に行儀や躾が加わったら、さぞかし美しく魅力のある職人像になるであろうと、彼等が根付くとそう考えるようになった。

 さてどうして作法を教えたらよいものか、金髪・白髪・がんぐろ・丸坊主(女)・耳にはいくつ物耳飾り・首にはタオルを忘れても首飾りは忘れない若者、そして彼らの乗る車は車高を落とした地面すれすれの車・壊れかけた車・耳を引き裂くような爆音の車・改造車、まともな容姿をした若者の方が少ない、若い頃は2度と来ないからそうやかましく行った覚えもない、寧ろ当たり前ぐらいに思っていた。とにかくこうした考えや格好は長続きはしない、遅かれ早かれ理性が芽生え本当の美しさやきれいさが分かって来る。

 こうした若者達を理性を目覚めさせ育成するには、肩をならべて、彼等と信頼関係をつくらなければならない、そこでガムシャラに働いた後、月に何回も飲み会を催した、それも徹底的に飲み食いさせて店が閉店になるまで若者達と会話を交わし続けた、吐いたり騒いだり何処でも寝たりした事もしょっちゅうあり、ある日店のオーナーから「もう少しおとなしく行儀良く飲む事は出来ないの」呆れた様子で言われた事が何度もあった、今思うと申し訳なく又気持ちよく最後まで飲ませてくれたいろんな店の方々に感謝して居る次第です。

 その時の勢いか今でも飲み会は閉店まで徹底的に飲み食いをさせている、当時と違うのは行儀が大分良くなったか、酒が弱くなったかどちらかです、とにかくこうした事で彼らとの信頼関係や若者たちのすばらしさも分かって来た、四角や丸の豆腐を造るのも入れ物次第、必ず10年〜15年先の将来は明るいと確信を持ち、じわり・じわり前向きに進んだ。

 3〜4年経ったある日、御施主様から引き渡し後にディナーに呼ばれた時、そこの奥さんから工事に掛かる前担当をする一人に金髪の若者がいた、「こんな容姿をした若者で大丈夫かと疑った」、工事途中彼の挨拶の励行や一生懸命ムダ口を叩かず最後まで丁寧にしてくれた事に、一時にせよ容姿だけで疑った事に申し訳なかったと感情をあらわにして本人を前で詫びを入れてた事が印象に残っています、勿論この若者は今立派な棟梁として御施主さまから絶大な信頼を受けて折、又3人の父親になって我が社に君臨しております。

 

年のおわりに

 今年も若い職人達が全員無事に年末を迎えられた事に喜びと感謝の念でいっぱいです。側から見れば当たり前の事ですが、親御さんから預かった大切なご子息達をともあれ五体満足で新年を迎えられる事が一番、機械や工具・刃物又高所での作業はいつも怪我や危険を伴う、慣れるまでには3年程はかかる、よくしたもので棟梁になれたら怪我や過ちは少なくなる。毎年新入社員が入ってくるようになってからは特に五体満足の想いが強い。

技術の習得は2番目こうして後継者の育成は目先の事から始まります、ひと通りの技術の習得に4〜10年,住まい造りは常に10年〜50年先を考えながらバランス良く取り組んでいく、だから来年と言うより次の年その又次の年のように嫌われない行動や、やってはいけない構造、手抜きしない住まいづくり、とにかく駄目だった事を反省して改めて挑戦するその気持ちを徹底する、未来の事は誰もわからない、過去の過ちこそが教訓になる。皆さん良いお年を、ありがとう。

後継者育成その10

大工職人の育成は忍耐力から始まり・躾・刃物の研ぎ・刃物の使い方・電動工具の使い方それから現場で棟梁に就いて修行修練をする、ある程度できるまでには平均3〜5年の歳月それ以上は本人のやる気しかない。

 一人前になって実働8時間で25日の出面、常用大工で12,000円〜18,000円ぐらい、中を取って15,000円としたときに、月375,000円、一年に300日働いて(この数字は厳しい)4,500,000円。

 35年働いて2,000万の退職金と仮定した時、年に約57万貯めなければならない、つまり年収393万になる。その中には命の次に大切な道具代がいる、勿論消耗品だから一生使えない、それに税金・健康保険・年金も全額手出しになるこれも大きい、それに道具を乗せる車も要る、交通費・作業服は当然要る、こんなことを考えると、割に合わない職業になる、一次・二次産業の宿命か…いつの日か…と思うがsmiley

 彼らには生活の糧だけを目標に於けばあまり楽しい仕事ではない、人生の糧や住まい手に喜んでもらえる事は又別物…と言い聞かせてある、「ものづくり」の喜びはお金には替えられない沢山の喜びがある、それは一生懸命に造った造り手と住まい手の間に信義・信念を通して「感謝の輪」が生まれる、それがあるが故楽しい、それらを均せば全て世の中は平均でバランスが取れる。

 自分で造った物が100年以上も現存する、己が死に絶えても建物は残る、又この間住まい手に喜んでもらえる、もの造りは造る喜びと、造った後の住まい手との繫がりに奥が深いから飽きないし、究極の答えの追求に勤しむことが出来る。

 建物の技術改革にも当然取り組んだ、オリジナル外断熱工法・外壁モルタル目地なし全面塗り・べた基礎一体打ち・水平ブレス入りの下地板斜め貼り・ムク材の根太ナシ工法・昨今は竜巻や強風に対するオリジナル耐風・耐震壁、因みに最大引き抜き荷重は建築基準法外に一棟あたり120トン以上の補強・その他(地下熱利用の定温エアーシステム・免震ゴム・自動換気装置・エアー循環装置・形状記憶合金を用いた換気装置)など沢山あった、又発ガン性物質のあるホルムアルデヒロなどの揮発性化合物の測定を15年前に行い、微量で測定不可能の結果が出た、外断熱を初めてから、室内の窒素酸化物二酸化炭素の量・温湿度・浮遊粉塵・気流の動きなど、測定機関が大分に当時なかったので福岡から呼んだ、勿論基準値以下であった、結露診断特に床下の温湿度は数年のデーターを取った事や木材の強度実験なども当然行って来た、全てすまい手の方々や若い社員のためにやって来た。

ハード面の取り組みは時間を有する。

えっ〜ソフト面!!…次回smiley