後継者の育成(建築大工)その2

 チャリンコで来た女性は今一番長く居る「阿南 美根」棟梁といいます(棟梁で完工数46棟)、竹田高校を卒業後専門学校を出て医療事務をしていたらしい、「何で建築大工になりたいのか」の問いに「身体を動かす仕事がしたい…」この言葉しか記憶に残っていない、彼らには悪い表現をするが猫も杓子も入れたい、鉄砲も数打てば当たるそんな時期でした。

 入社時どんな事から指導をしていたか、この子だけは記憶にない、やりっぱなしと言う事もないのだが、覚えている事は大酒飲みで膝を組んで煙草を吹かしている(今は辞めている、酒は少々嗜む)状態が脳裏に焼け付いている、この子が入って酒盛りが急に増えた、朝えらいおとなしいと思ったら朝まで酒びたり…けど遅刻は一度もない、こんな根性の持ち主腕の方も確実に伸びてきていた。

 そうこう一年もしないうちに女性の大分工業建築課卒の子が入ってきた(神田真美棟梁今は設計部、棟梁完工数30棟)建築課卒は初めて、おまけに2級建築士免許を取得(今は一級建築士を取得)それから直ぐにもう一人(武津棟梁)上野ヶ丘高校卒・福大卒の子が入って来た、この三人は頭が柔らかく物覚えが早く何よりも競争心に満ちていた、神田棟梁は良く泣きながら歯を食いしばって頑張っていたし、武津棟梁は応用力がずば抜けてた、飲み込みも早かった。

この3人は性格の違いがあるが想いは一つにあると感じた、  当初彼らに言ったことは何でも良い大分県一を目指そう、元気の良い若者の集まり、「存在をアピールする、それには木造の欠点を打破する為に試行錯誤しながら、がむしゃらに働け」、こんな会社が今もあるのかといわれるぐらい日曜も休み(早く覚える為に)なく深夜まで働き続けた、もともと日本人は労働を美徳と考えた風習もあった、そんなお陰で仕事の受注は何とか伸びていったが新卒が初めて同時に三人入って来た、待っていたのは今までにない苦しい数字…

 堂村さん

 お久しぶりですその節は大変御世話様になりました。

  コメントありがとう、コメントの中からあなたの優しさが見られます、

 自由奔放、支離滅裂なブログに目を通して頂き感謝しています、私どもも今年二人の新入社員が入って来ました、私は彼らにまず一番に「怪我をしちゃ〜いかん」、会社や世間は利用されるのではなく、「利用しなさい」自分の本当の目的の為のツールにしなさいといっている、まだ18〜19歳理性は定まっていないような気がする、特に男性は女性より遅く感じる。

 自然の中での社員教育はうらやましい、木や森を育てるのと同じ時間がかかる、間伐や移植に依って廻りはのびていく、又人も同じ様な状態で伸びていく、

 皆が真直ぐ大きく育つ為には自然のものを見るのが一番良い、頑張ってください。

 近くに来たときには是非寄って下さい

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