後継者育成その6

 手加工には墨付け作業は不可欠、機械プレカットの何十倍もの時間が掛かるし、前回も書いたが金額も高い、この時期35坪位のすまいで墨付け作業は約16人前後・刻みで26人前後で合わせて約42人も掛かかった苦しい数字、それも深夜まで作業してのこと。

今は墨付けが4.5人〜7人・刻みが12人〜14人で平均18.5人です、ものすごく早く・きれいに出来る様になった、機械プレカットと値段は殆ど同じです、加工時間は追い着くのは到底無理ですが、プレカットよりはるかに構造的には丈夫(プレカットの構造面は熟練工の墨付け・刻みの60パーセントの能力しかない)で見た目もきれいで美しく、なにより生きた強い構造材の架構になるため絶品の作品が出来る。

この時期は私も今日中に家に帰ることは殆どなく、休みなくよくやっていたと思う,病気や怪我をせずに来れた事に何時も感謝している、ある日10時半過ぎ片付けを終えて久ぶりに早く帰ろうと作業場の明かりを消したら何処からともなく「あ〜」という声がした、明りを点けて隅の方に行ってみると武津君がノミ研ぎを1人でせっせと研いでいた、人が帰った跡毎日のように刃物を研いでる姿勢と努力は脳裏に残る、現場廻りをしても彼の仕事ぶりに目が注ぐ、彼は上野高校出て福大を経て一旦企業に就職したが、手づくりの「すまいづくり」の道に何故か入って来た。

初めて面接をした時身体が太り気味で不安があったが、当の本人は早入社したつもりで勝手に皆に大きな声で「武津ですよろしくお願いします」と挨拶をしていた、された社員大工達の方がキョトンとしていたことを思い出す。

彼は社交的で近年稀に見る応用力のある若者でした、その為か皆で指導していても彼だけは聞いていても、もっと良いことがないか常に詮索や試行錯誤しながら自分の気に入った方法を選んでいた(私の時代は見て盗んで覚える、だから覚えるのに時間がかかる今の若者は短気で飽き易い、教えるということは回り道をせずに早く到達する利点がある、どちらでも善し悪しはあるが後者を選んだ)彼だけは指導してもまともに受け入れないから反対の事を言ったりして、「してやったり」…と心で「にか〜っと笑った」懐かしい時期があった、底知れない何かを持っていたことは皆と違っていた、時間を惜しむのでもなく常に考えながらの行動は心打つ物があり、荒削り乍一年半の時に墨付けをさせようと思った、御施主さまに了解(こう言う男ですが、すべての責任は私が見ますので是非…)を得て彼に任せることになったが…。

この後社員間でギクシャクが続く、今まで皆明るく黙々と作業していたが、まさかこのことでギクシャクしていたと思はなかった、気がついたのは数ヶ月経った後でした。

 

後継者の育成その5

 得てして神仏はいたずら好きである、さあ〜これからという最初の組立で、私が支えている柱や横架材の間違いや勘違いが今まで何度も最初からあった、幸か不幸か不思議なことが多かった、話は変わるがある日解体の現場で高さ3mの所から、ひょっとしたことから仰向けの状態で下に落ちた、落ちながら、「もうだめだこれで人生終わった」と思ったが、落ちた瞬間は分厚い布団の上にふわ〜とした感じで、スチール製の足場板の上に落ちた、腰などに何の異状はなくそのまま仕事を続けた大変幸運な出来事もあった、今回の上棟は心配をよそにあれよあれよの間に工事は進捗していった、無事上棟を終えると、今まで味わったことのない無量の感慨と「これからいける」という明かりが見えた、勿論小さな勘違いは数ヶ所あった。 

 チャリンコの阿南美根は最初の大仕事で、すばらしい墨付けや刻みをやってくれた、この現場で味わった自分との葛藤や喜びは一生忘れることがないでしょう、上棟後の美酒を皆と共に心行くまで味わったことは言うまでもない、(当時は週2〜3回皆で飲み事があり、飲みすぎで離婚問題までなった事がある)因みに2度目の墨付け・刻みは奇跡といっても良いぐらい完璧にこなした、今でも誰もが出来たことのない難しい事をやってしまった。

 ふじまるのすまいの構造は殆ど化粧桁や柱材の表しが多く、精密さや緻密性が不可欠、その為に見えがかり部分の構造用金物は全て隠し金物としています、又木材が大きく量も倍使用し、丸太梁・丸柱・太柱があり墨付けや刻みが他社より相当困難、間違いや勘違いがあるのが普通。

 この時期から阿南美根君の容姿や考えが変った、心身共に美しくなって来た、 墨付け作業等を彼にさせると、早く・きれいに間違いなくできるが合理的な作業は一人前の後継者を育む上ではやってはいけない…とは言っても非常に苦しい数値の中、心は揺れていたが、目先の事を考えずに遠い将来を考えよう、第2の阿南を育てる事を心に誓い次なる人選を試みる、人選には当然就業態度や技術・その他を見ながら行った、この人選に想像もしてない人悶着が起きた。

後継者の育成その4

 上棟の前日は眠られなかった事でしょう、墨付けをした人はどんなに熟練工でも前日は眠れないのが普通、間違いが少なく無事に上棟まで行けるのか責任がある、私は間違いや勘違いも心配になるが、なんと言っても高所での作業怪我や事故がなく無事に上棟式が出来ることが何よりも嬉しい…当たり前の様に思うが前日は眠りが浅い、(怪我や事故を少なくする為に手づくり・手作業のすまいづくりを始めたといっても過言ではない、何故なら「ふじまるのすまいは手づくり」で行う、化粧の柱や化粧の横架材・化粧の桁ばっかり、一本の角材に多くの人の手と時間が掛かるから最後まで「大事に扱う」という意識が必然と生まれる、それが怪我や事故を無くす1番の良案であり、せっかくこの道に入った若者五体満足の棟梁に育てて卒業させたい一心からです。)上棟の日は朝5時起きが多い、一度も目覚ましや起されたことはない、自然と目が覚めるのが習慣になっている。

 朝7時前(この上棟時間は彼等の責任感から始まったもの)に現場着、すでに棟梁達は段取りをしていた、荷物を下ろし終わったら、肩慣らしに柱を建てて行く15〜20分で建て終わる、それから墨付けした人を中心に円陣を組み朝礼、建て方の順番を墨付けした人が図板(自分で書いた図面)を見ながら説明をする、この時上手くいくようにと心で祈るのは私だけではない、責任感のある棟梁達は同じ心境になる,真剣に聞き入った姿を見れば一目瞭然に分かる、これが終わり安全祈願していよいよクレーンのブームが始動、最初の横架材が上から降りてくる、私は組柱1本を支え所定のホソ穴に柱ホソを差し込む、槌の音が激しく響く段々と収まってきた、ところが私が持っている柱が始まった最初の1本目で長いのが分かった、青ざめる又はじまったか…どれだけの勘違いが今から起きるのか…切ない気持ちが頭を過ぎる、組み立てる時は以外に危険性がない、間違いや勘違いがあって取り外す時が一番危険なとき、その危険な作業が1本目から始まった、硬直した面々の姿を見て、大声を掛けゆっくり怪我のないよう大事に外す指示を出す(本当は悔しくて罵声を飛ばしたくなるがこういう勘違いは決して叱ってはいけない、ぐ〜と堪える)、長い物は所定の長さにもっていけば殆ど使用出来る。

 さあこれからが大変、往ったり来たりの果てしない長い時間が始まる…。

共通の価値観

 

「後継者育成は一休み」 

価値のある、ふじまるの「すまい」とは、優秀な人材育成をもとに、すまい手のニーズや環境・あらゆるソフト面に対応し、なお優良な地域材を使用して地域への貢献・循環型のすまいづくり、急がず試行錯誤しながらじっくり育み、一生懸命に育成と共に建設するすまい、「気持ちを込めた木持ちの良い家」、どこにも負けない品質(技術力)や性能・感謝の心を目指した手造りのすまいづくり、そんなプロセスを大事にして完成した「すまい」、これがふじまるの価値ある「すまい」と思っています、この共通の価値観を持った、すまい手の方々や協力業者の皆さん方が本当のパートナーであり、ふじまると切っても切れない永遠に続く仲間たちであります、今後もこの価値ある、伸び行く「すまい」を建設し又維持管理をして行きたいと思います、ご協力をよろしくお願いします。

後継者の育成(建築大工)その3

 正直この時期3人同時入社は考えた、長くて3年前後の若者が2名で他1〜2年ぐらいが3名熟練工が一人、指導棟梁が育っていない時期にどうして指導すればよいか迷いつつ、新卒を入れる事にした、無理をして入れた結果は、数字を見れば一目散に解る、この時期一気に大工手間だけでも見積り金額(今より高い金額)の倍以上彼らに支払っていた、それに福利厚生費を考えたら大変な数字になる、勿論私たち夫婦の給料等は考えてもいない、それよりも若い人達が入って来るようになっただけでも努力のし甲斐があったと思っていました、この時期協力業者の皆さん達に必ず「恩返しをするから育成の協力」を呼びかけた、殆どの業者が賛同して頂き、ムダ・ムラを省く会議やCADを使っての上棟までのプロセス等の勉強会に集中し、もくもくと働き続けたことは言うまでもない。

技術面で一番困った事は、手づくりに要の墨付け作業(桁表し*構造材が全部化粧で見える状態)を覚えさせる事でした、木の上下や反り・強度・色艶・継ぎ手の位置・乾燥状態等間違いない様に墨付けする事は短い修行期間では至難の業、思い切ってさせて見たら間違いだらけで、穴があったら入りたい心境…こんな失敗の多い上棟が何回も続いた、当然失敗した木材は取替えなければならないから材料費や人件費が嵩む。

任せたいじょう間違っても叱るわけには行かない、基本をしっかりやっていればそんなに失敗はない筈、基本を守らない子には厳しく罵声も飛んでいた。

3年迎えたある日、40坪の住宅を「美根君墨付けをやって見るか」の問いに「は‥はい」の返事が返ってきた、まったく期待はせずに墨付け作業をさせた、様子を見ていたら2時間ぐらい何もせずただボー…と檜の土台の前でつっ立っていた、「一寸早かったかな?」それから夜中に様子を見に行ったら、黙々と墨付け作業をして、かなりの本数が終わっていた、あの輝いた目と姿勢は今でもはっきり覚えている、「これはいける」とお思いつつ、そしていよいよ上棟の日を迎えた…