美化運動

 今朝は―4℃今年一番の冷込、月曜日は近隣の清掃活動日となっている、朝7時から大体1時間位行う、何時もと違う持ち場でないゴミ拾いをしていたところが、歩道を追いかぶせるように草木が茂り2mの歩道が60センチしかないぐらい狭くなっていた、その長さ≒100m今まで見過ごしていた自分に腹がたったものです、子供たちの通学しやすいようにと思いながら清掃活動をやっていたが、こんな見過ごしが生活や仕事のなかでもあるものです、ただ気づかぬだけの事、この事を朝礼にて社員に言い伝えた、「どうせするのであれば真剣にきれいにやろう。」

 今日の清掃活動は冷たさも忘れて頑張ったが1時間余計にかかった、広がった空間を見て皆気持ちよく思ったことでしょう、終わった後のすがすがしさは何とも言えない気持ちでした、美化運動は必ず若い人たちの人間性を高めてくれると信じている。

玄米食

 今年の正月明けは社員の書初めを娘がさせて、各自の文字を事務所にベタベタ張り付けている、「そんなことをするより早く仕事をしろ」と云いたくなるのでありますが、日が経つにつれて各自の文字に何かしら暖かい物を感じるようになった、こうした日本の文化を大切にすることをつい忘れがちであったが娘のお蔭か我に返る、木の文化の継承も難しい、毎日が木との葛藤である、木の住まいは何(健康・省エネ・環境)をとっても1番良いのですが、好き嫌いが激しいどんなに身体や地球の為に良いと解かっていても、実際に木の家に住む人は限られそんなに多くはない、そう玄米食と同じです毎日食べるとたまに白飯を食べたくなります白飯より遙かに栄養がありますが美味しさが今一、それに色見が悪い。

 我が家は玄米食を毎日食べています、納豆・海苔・ふりかけをしても美味しいが色見が悪い、安定した硬さはないそれにおこげも付くぐらい、料理次第と思うが玄米の冷や飯は美味しくない、努力をすればどんな時でも美味しく食べられると思っていても、自分が焚くわけでないので要らんことを言うたら大変な眼にあう我慢我慢。

 

 すまいも玄米食も体に一番良いのですが好きなものを自由に選べる日本は余程考えたすまいづくりを心がけなくてはならないと思っています。

                                                                                                                                   

新年

 

 すまいづくりを「健康・省エネ・環境」に集中してきた、この事が本当に正しくわが社に合った道である、そう思いつつ永年社員に鼓舞してきた、すまいづくりを試行錯誤繰り返しながら現代まで至るが、クライアントからはそれほど「揺るぎない3要素のすまいづくり」は印象に残ってないように感じる、寧ろ我が社の感動ある社員や生きた建物に魅かれる人が多い、性能などは他社と違う事をじっくり説明しないと分からない、何故かしっくり来ない気持ちをずっと持ち続けていた、ある雑誌に歴史上特に素晴らしい数名に絞った人物に聖徳太子の名があった、聖徳太子は皇室の出身でありながら仏教を布教して、八宗兼学といわれた大変な人、聖徳太子の重要な業績の中で、「一人の人間が同時に複数の宗教を信じてもいい」という日本独自の宗教観を世界で初めて生み出した。この聖徳太子の哲学が日本人の宗教観を決定的にしている、だから日本は宗教戦争も宗教対立も一切起きない。

 日本の家庭には神道・仏教どちらも祀ってある、尊敬できる神道や宗教を選ばれることです、相手を悪口を言うのではなく自分に合った尊敬できるものを選ぶ、これが日本を平和にし発展させた国民性の源のようです。

 現代は衣食住不自由なく育ってきた若者、尊敬という言葉より「好き」なものを選ぶ、どんなに正しい・どんなに素晴らしいものと思っていても、好き嫌いではっきり選択されてしまう、今からのすまいづくりは好かれなくてはならないことです、だから好かれるためには「魅力」づくりが必要です。我が社のすまいづくりは「健康・省エネ・環境」は当たり前で、何よりも「魅力あるすまいづくり・魅力ある後継者育成・魅力ある組織づくり」を目指そうと新たに鼓舞した新年です。

アルプ出展への想い

 今、手刻みや手加工といった仕事こなせる大工職人が激減している、新築・増築・改築・古民家の改修も木の家の存亡が危機ににさらされているのです、木の家の良さは何事においても最高(健康・省エネ・環境)なのに後継者がいない、そんなことを言い続けて早20数年経った、当時5Kといわれた職種に若い人達を集めるのは苦渋の選択でした、そのうえ入社しても直ぐに辞めてしまう、どんなに将来性があっても、存在の意義があろうと、又言い聞かせても理解してもらえない、(指導する自分の未熟さも大いにあると反省の山・・・)今も棟梁にもう一歩というところまで来て辞めていく若者もいる、せめて棟梁になってから辞めて貰いたい、そういう事をいつも言っているのですがそれも解かってもらえない寂しい思いもあります。

 後継者育成は大変なことですが、確実に存在の意義や価値を知り地域に何を提供するのか分ってきた棟梁等や見習いは増えて来ている、良い職場には良い人たちが集まるものです、今年は営業も増えバランスは相当に取れてきたように思う、こうした頑張る若者達にいつの日か「陽の目」を拝ませてやりたいそんな意味も込めてアルプの出展を決意した。小さな一工務店が総合展示場に参加するのは資金面で大変であるが、協力業者の皆さんに協賛戴き、全社員の手でプランや計画を立て施工しどこよりも早く完工出来た、途中私に何度か聞きに来ることがあったが、その都度「失敗しても良いから思い切りやりなさい、失敗しても次の糧になる」・・・と、工事中数回程足を運んだ、若者達は皆生き生きとした表情で作業をしていた、出来上がりを見て本当に感性の籠った素晴らしい建物が出来たと心から思っています。

 アルプの常駐に関しては、我が社で建てた住まい手の御施主様(ふじまるファンズの方々)が来場者のコンセルジュに当たってくれています、10名以上の方々が交代で案内役を務めてくれているのです、これは本当に素晴らしいことです、心から感謝しているし御恩はわすれられない。来場者の集計では2番目相当に多いと聞きお客様の評価も大分良いようです、コンセルジュの皆さんは木の住まいの気持ち良さやその他をよくご存知です、今後ともよろしくお願いします。

                                                                                                                    

親父

 昨年の8月に親父が脳梗塞で倒れ今年の7月に天国に旅たった、倒れた当初は1週間がヤマ場といわれたが、みんなの努力の甲斐があってなんとか会話を交わす事が出来、自分で食事をとるまで回復した、後はリハビリだけの状態、元々90才まで大きな病気はしたことがなく帯状疱疹で1度だけ病院にお世話になった、それほど頑丈な体をしていた腕の大きさも一升瓶より大きいと自慢していたが、闘病生活でみるみる細くなった。筋肉の硬直を防ぐため毎日のように手をさすり・揉みながら筋肉の堕ちて行くのを感じた、思い残すことのないよう子として最善を尽くしたつもりでいる。

 会社では後継者育成という大義名分を掲げているように、若者達に良い手本を示さなければと思い、子が親の面倒を見るのが当たり前であり決して珍しいことではない、そんな風な立ち振る舞いを皆に見せた、又親があり自分が生かされているという事実も感謝し、親への恩義を忘れてはならないでほしい、わが身・わが心は親からの授かりもの御先租様のお蔭と大切にしていかなければならない。

 親父は労働を美徳と考え倒れる90才まで働いてきた、汗を流すことにより生活の糧を得る大切さ、働くことにより心は成長する、非凡な人間も何時しか高邁な人へと変貌する、この教えはありがたく思っているし実行して行くつもりでいる、だから今も忙しく親父の事を懐かしくな〜て思う暇がない、ただ家に帰れば合掌するぐらい。

 今年も色々あったがあっという間に残す2か月となった、ALP(アルプ)のオープンも残す一月足らずいつの間にか全社員や協力業者の皆さんのお蔭で工事の進捗も問題ないようです、皆で造った住まいの完成を楽しみにしている。