過去への感謝

会社経営と後継者育成で最も私が良く言っていることは、過去にあった失敗や粗相を再び起こさないこと、それを大事に行ってきた逆を言うと将来や未来のことはわからないのです、30年前から取り組んだ後継者育成は存在のアピールから始まった、とにかくがむしゃらに働くことから出発です、朝は8時からだったが夕方はなんと毎晩のように11~12時ややもすると2時前後になることもしょっちゅうあった、合間を見ては飲み会、ただの飲み会とは違い仕事のこと以外はまったく話に出てこない、モーレツに働きモーレツに飲み会をしてきた、小さなことでも反省や改革を繰り返した、例えば床鳴りがして床下に入って手直しをする際グラスウール(最初の頃)の断熱材をかけ分けながら原因を調べるのですが、小さなガラス繊維が電気の光でキラキラ無数に落ちてくるのがわかり、こんなの今まで知らずに吸っていた、職人に申し訳ない直ぐに健康によい断熱材に変えるとか、台風時に待機をして、事あれば出かけ危険な強風の中でシート張りを行ったりした、事故が起きてからでは遅い、台風通過して点検が出来る様にするには何か良い方法はないか、すると外断熱にすれば雨漏りしても2次災害が起きにくい、それでオリジナルの外断熱を始める、どうせするのならば今ある高くても最高の性能の断熱材を使おう、そうすると今度は壁の性能が良くなるのでシングルガラスでは結露が出る、周りがよくなったから余計に窓の性能を高め≒20年前にはLO-Eにペアーガラスを使用する、それでもガラスに結露が起きる場合があるのですぐにアルゴンガスを入れもっと性能を高めた(当時クリプトンガスがあったが発がん性物質が入っているので採用はしなかった)、この当時防水・機密テープもマッチするものがなくテープだけでもこれは良いと思われるテープに1年かかった。今では樹脂サッシにトリプルガラスにアルゴンガス入り、天然乾燥無垢材使用のバランスの取れた高性能な外断熱が完成した、(太陽光パネル数キロを乗せればゼロエネになる)昨今ではオリジナルの屋根パネルもCLTの強度あるものを自社で制作、地球環境を考えた自然・天然乾燥(我が社のすまい平均1棟分30m3を人口乾燥するには1080リットルの原油が必要、因みにアルミニュームは1m3当たり原油28,000リットル必要)に拘り住宅の性能を上げ、職人のやりがいのある構造表しのすまいづくり、技術の向上も相当伸びた、又仕事をする前に「常に人であるべき心」も充実してきた昨今、限りないつぎのひらめきを模索中。

 

 

 

 

ゴミ

昨今プラゴミを取り上げる報道を耳にする、マイクロプラスチックも小さなゴミ、地中から取り出した化石燃料が元である、科学の発展や利便性につながる燃料は経済の発展に多く寄与してきたが、どんなに優れた材料や商品でもリサイクルと言いながらも最後はごみになるのです、何時の日か地球もこのまま行けば環境は汚染され地球温暖化は避けられない、その証に毎年のように自然の猛威によって大きな災害が生じている、地球環境5億年前は二酸化炭素が多かった時代に植物プランクトンが炭酸ガスを吸収して地中の中にしまいこみ、圧力と熱で化石燃料になる、それを現代引っ張り出している、今の植物も我々が使用している木材も光合成によって炭酸ガスを吸収して動物の生命に必要な酸素を供給して大きくなっていくのです、この素晴らしい木材(炭酸ガス)を永く生かす(炭酸ガスを固定する)ために、昔のような優秀な大工職人が不可欠になるのです、それに永く住み繋ぐには、省エネで安全・安心・健康面を追求した快適性などが今のすまい、後継者育成を始めて約30年、運よく優秀な若者たちとご縁が出来たおかげで今日があるが、一工務店で後継者育成は本当に厳しい、地球環境に危機感を持つ行政の人たちや私たちのすまいづくりに価値観の違いが理解できる方とのご縁があれば幸せと思っている。因みに我が社の木材は自然(天然)乾燥である、(人口乾燥では20棟で年間21,600リットルの原油が必要、木材は1m3人口乾燥するのに原油が36リットル・アルミは1m3つくるのに原油28,000リットル必要とのことです)

アルプ展示場

アルプ常設展示場も早3年が過ぎようとしている、先日アルプ展示場で応援を頂いている11名の皆さん(一人欠席)と、結果報告とともに食事会を開き質疑や今後の事など雑談した、もともと御施主様であり私たちの会社のことは皆知り尽くしている人達ばかり、2年前~20年前に住まいを建てられたすまい手の方たち、その奥様方おまけに内面も外面も美しい方々との会話、男は社長と私だけ、難聴の私も女性の声は良く通る、あっという間に2時間半が過ぎた感じです、久々に若いご婦人たちと快食その中で飲む一杯のビールは格別、我を忘れないように1杯で止める(笑、・・・皆さんのおかげで多くの受注が出来、ファンの方も相当増えた、心から感謝しているし、皆さん方の期待に応えられるようなすまいづくりに邁進していく、その思いが改めて強くなったひとときでした。今後とも若い社員達のためによろしくお願いいたします。

 

 

 

いにしえ

6月16日に義父が黄泉の国へ旅経ち,8月3日に母親が旅経つ、義父の初盆が終わり母親の初七日(不動明王)・2七日(釈迦如来)・3七日(文殊菩薩)・4七日(普賢菩薩)・5七日(地蔵菩薩)・6七日(弥勒菩薩)が終わり、四十九日(薬師如来)の法要が9月15日に無事終わった、6月16日~8月3日の間に地鎮祭・棟上げ・社員の結婚式が2組・研修旅行あり・山口・博多行きなど本当に忙しい日々でした、二人とも85~90才ということである程度は予見していたが、一寸悪くなってから急に逝ってしまったという感じ、義父は最後まで看取ったが母親は数分遅かった、3年前実父の時も本人から名前を呼ばれて行く間に息を引取っていた、同じく数分間遅かった、この刹那に心の整理がつかないまま四十九日が終わった、幸いにして実父も実母も旅経つ前日は二人とも良く話したり食べ物を上げたりした・・・そんなことを想いながら時間だけがが過ぎていく、心の支えであった義父への思い、我が社を何年も手伝ってくれたし、何と言っても結婚できたのも義父の御蔭、感謝の気持ちを忘れないし、人生の糧も沢山享受できた、思い出は尽きないほどある、今年の正月は実母と一緒にソファーに座り実母の手を取って笑いを誘うなど、まだ信じられない、いつしか時がすべてを解決してくれるであろう、まだいろいろ残されたものの整理があるが、生前の行き届かなかったことを詫びると同時に御両人の成仏を願いながら「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。                   合掌

聖徳太子

聖徳太子といえば旧5千円札・壱万円札の人物で有名ですが、皇室の出身でありながら八宗兼学の大学者となり日本に仏教を布教したと云われた、「一人の人間が同時に複数の宗教を信じても良い」日本独時の宗教観を世界で初めて生み出した、だからよその国のように宗教戦争・宗教対立は一切起こらないと言われている。過去の人物で聖徳太子は5本の指に入るくらい偉大な人物と聞いている、その聖徳太子を「大工の祖」として讃え崇めるといった信仰で太子講が今でも存在することは知っていた。今回旅の土産にお施主様より『番匠器御名号』の有難いお札を頂いた、読むと聖徳太子は百済より大工(番匠)の技術を持ち込み大工たちの間でも大工技術の始祖であると崇め奉られて居ます。法隆寺や四天王寺の七堂伽藍を創建されるときに大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌・鋸・錐などに仏性を入れて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀沸」の名号を書かれ、大工の工事安全と無事建立を祈ったといわれて居ります。工事作業の時にこの番匠器名号を旗に変えて作業中の安全祈願として掲揚していると書いてあった。

私たちの扱う材料はすべて自然素材、特に木材は生きる動物に必要な酸素を光合成によりつくり、二酸化炭素を蓄積して成長してきたのです、人類のためにも貴重な生きた資源を永く持たせる努力を惜しんではならない、生きた素材を扱うそのためにはやはり素晴らしい大工棟梁の育成が一番ではなかろうか。