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年のおわりに

 今年も若い職人達が全員無事に年末を迎えられた事に喜びと感謝の念でいっぱいです。側から見れば当たり前の事ですが、親御さんから預かった大切なご子息達をともあれ五体満足で新年を迎えられる事が一番、機械や工具・刃物又高所での作業はいつも怪我や危険を伴う、慣れるまでには3年程はかかる、よくしたもので棟梁になれたら怪我や過ちは少なくなる。毎年新入社員が入ってくるようになってからは特に五体満足の想いが強い。

技術の習得は2番目こうして後継者の育成は目先の事から始まります、ひと通りの技術の習得に4〜10年,住まい造りは常に10年〜50年先を考えながらバランス良く取り組んでいく、だから来年と言うより次の年その又次の年のように嫌われない行動や、やってはいけない構造、手抜きしない住まいづくり、とにかく駄目だった事を反省して改めて挑戦するその気持ちを徹底する、未来の事は誰もわからない、過去の過ちこそが教訓になる。皆さん良いお年を、ありがとう。

後継者育成その10

大工職人の育成は忍耐力から始まり・躾・刃物の研ぎ・刃物の使い方・電動工具の使い方それから現場で棟梁に就いて修行修練をする、ある程度できるまでには平均3〜5年の歳月それ以上は本人のやる気しかない。

 一人前になって実働8時間で25日の出面、常用大工で12,000円〜18,000円ぐらい、中を取って15,000円としたときに、月375,000円、一年に300日働いて(この数字は厳しい)4,500,000円。

 35年働いて2,000万の退職金と仮定した時、年に約57万貯めなければならない、つまり年収393万になる。その中には命の次に大切な道具代がいる、勿論消耗品だから一生使えない、それに税金・健康保険・年金も全額手出しになるこれも大きい、それに道具を乗せる車も要る、交通費・作業服は当然要る、こんなことを考えると、割に合わない職業になる、一次・二次産業の宿命か…いつの日か…と思うがsmiley

 彼らには生活の糧だけを目標に於けばあまり楽しい仕事ではない、人生の糧や住まい手に喜んでもらえる事は又別物…と言い聞かせてある、「ものづくり」の喜びはお金には替えられない沢山の喜びがある、それは一生懸命に造った造り手と住まい手の間に信義・信念を通して「感謝の輪」が生まれる、それがあるが故楽しい、それらを均せば全て世の中は平均でバランスが取れる。

 自分で造った物が100年以上も現存する、己が死に絶えても建物は残る、又この間住まい手に喜んでもらえる、もの造りは造る喜びと、造った後の住まい手との繫がりに奥が深いから飽きないし、究極の答えの追求に勤しむことが出来る。

 建物の技術改革にも当然取り組んだ、オリジナル外断熱工法・外壁モルタル目地なし全面塗り・べた基礎一体打ち・水平ブレス入りの下地板斜め貼り・ムク材の根太ナシ工法・昨今は竜巻や強風に対するオリジナル耐風・耐震壁、因みに最大引き抜き荷重は建築基準法外に一棟あたり120トン以上の補強・その他(地下熱利用の定温エアーシステム・免震ゴム・自動換気装置・エアー循環装置・形状記憶合金を用いた換気装置)など沢山あった、又発ガン性物質のあるホルムアルデヒロなどの揮発性化合物の測定を15年前に行い、微量で測定不可能の結果が出た、外断熱を初めてから、室内の窒素酸化物二酸化炭素の量・温湿度・浮遊粉塵・気流の動きなど、測定機関が大分に当時なかったので福岡から呼んだ、勿論基準値以下であった、結露診断特に床下の温湿度は数年のデーターを取った事や木材の強度実験なども当然行って来た、全てすまい手の方々や若い社員のためにやって来た。

ハード面の取り組みは時間を有する。

えっ〜ソフト面!!…次回smiley

後継者育成その9

 秋は田んぼの稲の収穫、それが終わりそれから山に行き今度は木を伐採する、そうした農林業営む人も戦後は多かった私も小さい頃から親父に連れられ、よく山の手入れに行った、秋口から伐採された木は木肌が美しく虫が入らず、腐れ難い、この木材を1〜5年寝かせて使用することは当たり前であった、今は残念ながら人手が足りず、いや"後継者が育たず機械にたよらずには入られなくなった次第、だからいつでも伐採して乾燥釜に入れて出荷しているのが現状(一般に言う人口乾燥材/KD材とも言う)、ある日この高温乾燥構造材を刻んでいたら、端っこの10センチぐらいでも鋸を締めて(通常の切り口は開くのが常識)動かなくなったのを見て、「こりゃ〜可笑しいこんなことは初めてこんな材料を使っていたら若いもんが何時か大怪我をする事は目に見えている」…

 強度は関係ないとは言うが、人口乾燥材特に高温乾燥を幾日も行った材料は、鋸引きだけでなく、ノミ切れも悪く、刃こぼれをする、おまけに炭の匂いがして中割れを起す、こうした材料で後継者の育成は出来ない、若者が育ち始めたら今度はそれなり見合った木材を提供しなければならないと思い、良材の仕入れにいろんな森林組合や製材所を廻った、この時大分にはグリーン材(切ったばっかしの生材)ではあるがすばらしい木材が無尽にあることに改めて感じた、目的の自然乾燥をした色艶・匂いの良い構造材は直ぐに手に入る状態ではない、自然乾燥の構造材は年月を有するその為何処も当時は取り組んでいなかった、経営上厳しいが自社で自然乾燥をするほかなかった、彼等のため、住まい手のために何年か分の自然乾燥をはじめた。

 一流の職人に育てるには一流の材料がいる、大分県の海は関サバ・関アジ・臼杵ふぐ・城下カレイといった美味しく新鮮な海の食材、山にはしいたけ・カボス・梅等すばらしい食材がいっぱいあるからこれらを扱う一流の調理人が多く何処にいっても美味しい新鮮な料理が食べられる、おまけに温泉地帯でもあり、一流の旅館やホテルがある様に彼らにも一流のホテルに泊り仲居さんの姿勢や接待などの行動を見て教育の一環としたり、一流の料理を惜しみなく堪能させたりした。

 食べることと飲むことは棟梁でも新入社員でも平等にしている、忘年会や日頃の飲み会でも位階の上下は何もない、ただ美味しいものを戴くことができるのは施主様や協力業者・先輩達のお陰だと言い聞かせている、そうした上下の関係をなくして感謝の気持ちを忘れないようにと言い聞かせた、ところが数年前義母がなくなり初盆を迎えても若い社員は誰一人もお参りに来ない、義母が若い人たちにどれだけ差し入れや愛情を注いだにもかかわらずこのありさまに唖然とした、感謝の気持ちだけで、来るべきところで気がまわらず態度に出ない、ここまで教えなければならないのか…

木の文化の継承・日本文化の継承世の中は随分変わって来た、仏間もないところが多いせめてスペースぐらいはと思うが…それに殆どといっていいほど床の間がない無駄なスペースと思っているのかそれとも神仏は心の中にあるものと思っているのか…大抵の願い事は銀行に行き手を合わせれば解決できる世の中…笑い、儲けの追及は時流に乗らなければならないのかも…一方我が社は人界戦力・非合理的・墨付け手加工で時間が必要又猫も杓子も入社させる…ああああああ~大変smiley

文章を綴るのも大嫌い…娘が私に黙ってイランことをするから余計な事が増えた‥それより早く嫁に行けsmiley

後継者育成その8

 この時期から工業高校新卒者や短期大の新卒者が毎年入ってくる様になってきた、非常に嬉しい限りである又中途採用も採っていた,とにかく来る者は拒まず全員入れた、一番多いときに8名、平均して3名ぐらいかな、棟梁になって卒業した若者が現在まで数名その他途中離職者が25名約半分は何らかの理由で続かなかった、育成指導する私の未熟さも当然あったと思うし今でも育成指導は難しいと思っています、親御さん達に限らず皆当社に入れば技術や精神面・躾その他進歩して当たり前のことと思っていますから進歩しなかった若者達の責任は指導する側が大きい。

 当たり前のことなんですが職人は足跡を残さなければ報酬は頂けない、1万円で1万円の事しか出来なかったら5分で忘れられてしまう、忘れられなくするには、忘れる=頭脳・心ですから心に何時までも残る事をして「ものづくり」をしないといけない、そのものづくりの答えが足跡+「感動」です、心に何時までも・響くもの・心地良く残るものこそ「感動のすまいづくり」 これからは3次元のすまいづくりから4次元のすまいづくりです、

「気持ちをこめた木持ちの良い家」はすまいづくりのテーマです。

 もう一つの問題は木材の調達それも構造材(桁・柱)の節有りの乾燥材が手に入りにくい、「節」があっても無くても「性能や耐久性・構造面の丈夫さ・本来の美しさ」は何も変わらない、しかし「節」があるのと無いのでは金銭的に相当の違いがある、育成指導をする上では失敗はつき物と思っている、高価な木材を使って育成は難しい、もしこれを使ってていたら倒産してたでしょう、私は節があろうと無かろうと1等材と称しています、この1等材の乾燥材が手に入りにくかった、七転八倒繰り返すうちに高温乾燥材という乾燥材料が出てくるようになった、強度面も耐久性も変わらないとは言うけれども、色艶の悪さ・ドーパミンの働きを促す効果のある大切な香りが悪い、結局3年〜4年ぐらい使ってあとは自然乾燥若しくは同等の材料に切り替えた、良い木は沢山大分にはあるが本当にほしい製品にした木材は今でも調達がスムーズに行かないことがある、木材納入だけでも15〜16社の取引がある。

後継者育成その7

 この頃は住宅誌や専門誌を収集しながら沢山の情報集めをしていた、若者達が根付きはじめた彼らに本当の育成とはを考えたらそこにはやはり「愛情」という言葉に繫がった、例えば上棟時の作業を考えたなら当然巾の広い構造材を使った方が歩きやすく、危険度は減るから必然と幅広(通常は105我が社は120)の材料を使用するとか、充填断熱材を入れる時や床下に入って床鳴り(当時は根太と根太の間に充填断熱材を入れてあった)の手直しをする際、暗い床下に電気をつけての作業は断熱材の微粒子が無数に落ちてくるのが分かる、吸ったり身体に着いたり決して良い物ではない、何とか良い断熱材はないか、台風時に雨漏りの手直し強風の中でシートを貼らなければならない危険な作業、瓦やその他の外壁材が仮に飛んでも2次災害の起き難い家、冬寒い・夏暑い・雨のとき工事し難い等、何とかせんといかん、それには外断熱しかないと思い、オリジナルの外断熱工法を行った、断熱材の性能(この当時はEクラスが最高でした)・強度・撥水・経年の変化、正直価格は考えてなかった、価格よりどうしたら彼等の安全性や作業効率に繫がるのかを考えた。

さて武津棟梁の墨付けや刻みは…というと、一年半とは思えないすばらしい出来でした、勘違いが少なく無駄な材料もなく、ただ一本2階の階段上の小さなつなぎ材が短く使えなくなり取り替えただけの記憶がある、思い切った人選に安堵感もあり、個性の違う優秀な若者達が永くこの業界に居座ってほしい思いを強く感じた。

墨付け作業は誰でも簡単に出来ない、この作業の人選は「すまいづくりの核」の部分、安易な墨付けをすれば大きな事故や怪我に繫がる、間違った時点で俊敏な応用が必要になる、経験だけでは出来ない作業、5年いても10年いても全部は任せられない人はいます。

人悶着やギクシャクしていたことは、若い人たちは墨付け作業など核の部分でも今度は自分の番だと思っていたからショックだったらしい、解る気もするが何でも早くやらせて良い人とじっくり時間をかけてしっかり基本を覚えさすほうが後々その人のためになる、後継者育成は一人ひとりのことを考えながら大事に建設に取り組んでいた。