あけましておめでとうございます。昨年の県では大水害があり今も復興は続いています、一日でも早く復興出来ることを心より祈っています、新型コロナウイルスの蔓延はGOTOキャンペーンまで1時と思うが中止になる中、我が社もお客様感謝ディーや忘年会・今年の新年会等全て中止ということで、なんだか寂しい1年でありました、見学会も3~4回行った程度です、それでも新規寒田のモデル住宅2棟が11月21日オープンと同時に、アルプ総合展示場の移設解体が怪我無く無事に終わったことは最大の喜びでした。コロナウイルスは終息の兆しが見えないまま逆に増えてきている次第、なんでも油断すると悪くなるのです、感染予防は皆んながキチンとしたことをやっていると何時かは終息するのです、我が社員の皆はウイルスとお蔭様で縁がなく健康で怪我無く全員が新年を迎えることが出来ました、今年は私たちにしかできないこと、私たちの強みを皆で熟知して最高のすまいづくりと人間性向上をイノベーションしていく、今年も多くの良いご縁がありますように願ってやまない、我が社には適齢期を迎えた立派な棟梁たちが数名いる、今年は華燭の典も期待している次第です。今年も良い年であるようご祈念して、若者たちをよろしくお願いいたします。
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12月7日K邸今年最後の上棟を迎え無事に終えた、上棟は高所での作業でいくら足場があっても踏み外すこともある、今年の半ば危険を感じるようになった、落ちて怪我でもすれば社員や御施主様にまで迷惑をかけることになる、怪我した後では遅い今体の動く時が辞め時と思い、寂しい気持ちと今後の心配もあるが今年いっぱいで高所の作業は一切やらないと決心したのです。この日の棟上げは技術職人たちが全員参加し、出来た屋根の上で皆と記念写真を撮った、最高の贈り物。上棟式も担当棟梁に祝詞を譲ってもらい、御施主様了解の上で最後の祝詞を挙げる、皆さん方と八百万の神々に再び戻ることのないこの空間に感謝の気持ちを込めて捧げた、最後には感極まり我を忘れて果つる気持ちになった。この半世紀600棟以上の建て方に従事してきた、大きな怪我や過ちがなく今日までこれたことは、多くの人達の支えや神仏のお陰と心から感謝している、特に女房や家族には少なからず多少の心配をかけてきた、この場を借りて御礼を言いたい。上棟は大工仕事で一番楽しく花形の作業、しかし一歩間違えれば人命に関わる作業なのです、このことを忘れず社員たちは素晴らしい手刻みの住まいづくりに邁進してほしいと願ってやまない。今年は新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るって最悪の年、それもまだ終息には月日がかかりそうですが、自分でやれることをキチンと何でもやって行くと将来は不思議と開けてくるものです、私個人的にも色々あった忙しい年でしたが健康で居られることが1番の幸せなのです。良いご縁で多くの人達に今年もご支援を沢山頂いた、師走にあたり皆様方の福徳円満・無病息災・家内安全・家運隆盛を衷心よりご祈念申し上げます。今年も大変御世話になりました、良いお年をお迎えください。
アルプ総合展示場が予定の5年目で閉館を迎えた、数々の思い出を残した初めての総合展示場、出展するにあたり多額の費用が掛かることも承知した上でのこと、出展のきっかけは前回の出展業者の中に地元の業者が一社も入っていない・・・ということは利益は全て県外に出ていく・・・ただそれだけで赤字覚悟の出展、賛成は得なかったが独断での決意、常駐する人の話になった時はすぐにファンズの御施主様にお願いしたら・・・工事が終わるころ皆さんに声掛けしたら次々に「いいよ」と云ってくれた、結局は11名もの皆さんがこの5年間コンセルジュをして頂いた、そしてこの5年間に予想を上回る60数棟もの契約を頂いた、この展示場さえも売却出来移築の作業が行われている最中、移築後は本来の強度のある建物(展示場は解体が簡単に出来るよう造っている)になるのです、5年経ったから完全に乾燥しているので壁のチリ切れや隙間がなく永年きれいなまま維持していきます、天地の恵みである炭酸ガスを閉じ込めた木材、調湿作用をしながら快適性は云うまでもない。コンセルジュの御施主様方々には心から感謝しています、皆様方が顧客の案内も相当上手いということも誰彼となく聞いています安心して居られるのです。今度のアルプオープンまで1年ありますので独自の展示場を寒田にオープンしたのもそのためです。何もかも素晴らしい良い経験と沢山の人との良いご縁を頂き、良い思い出になったアルプ総合展示場でした。関係者の皆様方に改めて心から厚く御礼申し上げます。
今から53年前大工の弟子に入り社会人への一歩、暑さ寒さも関係なくただ黙々と大工修行に励んでいた頃、いろいろな記憶がある中,きれいな木材の切れ端を捨てるのは勿体ないとばかりに、毎日のように持って帰っては触ったり見つめたり年輪を数えたりしていた、丁度親父が山の伐木の仕事をしていたので、日立の宣伝ではないが、親父に「この木はなんの木」と聞いたことがある、当時は外材の栂材やラワン材が多く親父も正確には分らなかったようだ、今から約30年前までは外材の構造材が殆どでした、県産材が構造材として流通したのも、我が社の御施主様でもある当時県林業振興課の二宮氏との出会い、この方との出逢いで県産材についての取り組みが本格的に始まったのです、林業家の人や製材所や森林組合等紹介や同行頂いた、それに木材にかかわる試験場や講演なども色々なことにご支援いただいた、良いご縁で今でも感謝の気持ちは忘れてはいない。大分県は高い山に囲まれた林産県でもあるのです、この天地の恵みの中で良材は沢山あります、果たして合板づくりやバイオマス発電に使ってよいものか疑問に思う、合板をつくる際にも初期投機のすごいエネルギーが必要ですし、バイオマス発電にしてみても燃やしてしまえばそれで元の炭酸ガスに戻るのです、木材はとにかく長持ちさせることが自然環境に一番ベストなのです、法隆寺のように1500年も炭酸ガスを閉じ込めているのです、その間には苗木を植林してその苗木が太陽の光合成により炭酸ガスを吸収して酸素を供給して成長するのです、自然環境や人に優しい資源は木材の使い方でも相当の違いがある、みんなで見直そう木材の使い方。
今から約40年前自分が手掛けた住宅の浴室・洗面所・トイレの改修工事を御施主様から一緒にやってくれと依頼があった、元々数年前までは自分でリフォーム工事を営んでいた御施主様でしたので快く引き受けた、二人で造りつけの浴室の解体を㋇の初旬に始めた、本当に暑く吹き出る汗の中での土間などのコンクリートの解体は大変、何年か振りかの解体で記憶がない、昼食事に缶ビールを御施主様と昔のことを思い出しながら飲んだ、お互い飲むことが好きであったのが唯一の救い、いよいよ自分が造作をした部分の解体、まさか40年後に壊すつもりで造作をしていないので解体するのに大変だった、当時も荷重がかかるところは余分に釘を打っているし、おまけに当時は外材であったので釘が錆びついて全く抜けない状態、解体が終われば今度は修復工事、手鋸・鉋・のみ・電気工具等,何年振りか分らないし初めて使う工具もあった、造作をしながら改めて我が社の職人の腕の良さに気付く、実質1週間ぐらいの肉体労働であったが大工工事共最後まで御施主様と二人で終えた。思い出の中にまた思い出が出来た8月でした。