自社の棟梁

自社の棟梁たちは30年前の後継者育成の厳しさを引き継いできた、暑かろうが寒かろうが汗まみれになって、重たいものを持ったり・木埃にまみれながら、時には汚い作業もある中、朝から夜遅くまで(9時~10時は当たり前、日付を越すこともしょっちゅうあった)危険を度返ししてとにかくがむしゃらにやろう、周囲の人達から注目されるように、そしてどうせ創るのであれば、手づくり・手加工の『気持ちを込めた木持ちの良い家』づくりを目標に掲げたのです、泣いたり・叫んだりして労賃の安い中、多くの若者が途中で辞めたり・辞めたくなったり、辞めたいものに基本的には引き止めはしないが、辞めたいと言ってきた人は身体から生気がなくなっている人が殆ど、自分の顔を鏡に照らせて、「こういう状態だから何を言ってもダメだから、Ⅰ週間でもⅠか月でも体調の戻るまで休んでいい、生気が戻ったら話を聞く、しかし出てくるときには勇気がいるぞ…、そのことを忘れずに」・・・今の棟梁たちの中にはこの時期を立ち直って再び苦しい修行に励み、技術と人間力を高めてきた者も多い、勿論2級建築士や一級技能士の国家試験もクリアしているのです。今思えばあの頃は福利厚生面も充実していない中、最低の労賃でおまけに残業手当なしでよくついてきてくれた、一般の人から見れば信じられないと思うでしょうが、ある日会議が終えた後、夜10時頃一人で現場に出て階段掛の作業をしていたら、若者たち5~6人が訪ねてきて、廻り階段掛を見たいとのこと…、教えながら夜中の1時過ぎに終えたように彼らはやる気満々でした、又ある時は見学会に間に合わせるために、檜風呂を夜中の12時過ぎまで製作していたこともある、近隣の人から「今何時と思っているん」・・・と云われたけどもう少しで終わります、何とか我慢してくださいとお願いして作業を続けたこともあった、この当時近隣の人たちには頭が上がらない、逆に応援をしてくれた感謝の気持ちでいっぱいでした、今の山崎棟梁は作業場の近くに住んでいたのですが通りがかりに、朝3時ころまで作業場に電気が付いて人がいる、何をしているのかと思ったそうです、逆に「あんたはその時間何しよったん」・・・と思ったが(笑い、とにかくいいものをを造る為にがむしゃらに働いてきた、どうせ創るのであれば何処にも負けないいいものを造ろう、その考えは今も揺るぎない。後継育成から早30年が経つ、この道に入って丁度今年で50年を迎えたが、いまだ後継者育成はビジョンとしている、17名の棟梁が育ち独立した者もいるが、残って共に県1番を目指して努力している者も当然います、1番の喜びはやはり皆が大きな怪我がなく健康で来られたことです、今自然環境が問われる中、本物の大工技術者が一人でも育ち環境にやさしい住まいづくりを継承してくれたらと願って止まない。

シェアする!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です