休暇

2年前南イタリア研修旅行に社員と供に行く予定が我が家の事情で私達のみ行けなくなった、今回女房の一声で同じところを旅することになった、一度は行って見たかったポンペイの遺跡、紀元前7~8世紀頃に構築された町並みの素晴らしさに感無量の思い、この当時から下水道(水道管は鉛管を埋設している)を完備し劇場やレストランそれに数々の店や浴場、大きな庶民の広場を中心に開けた町並みは信じられないほど整然と区画されていた、日本の縄文時代にあたる・・・・飛鳥時代最古の木造建築法隆寺が建立された(7世紀≒西暦600年)法隆寺よりも≒1300年も前になる・・・・う~ン

ベスビオ火山の噴火により一夜にして消滅、多くの人や生物が亡くなり当時のままの姿が石膏で蘇る、まだ2~3割は発堀されていないとガイドさんは言っていた、何時しか未開の部分も蘇るでしょう、其の時又訪れるであろう心にポンペイの町を去る。

ナポリ2泊・ローマ3泊の旅、ローマの町並みや遺跡は前回と何も変わっていないが、商店・レストランの味付けやサービス、人々の愛想の良さ、あいさつや感謝語など互いの国言葉を何処に行っても耳にする、治安もよく本当に気持ちよい人達と触れ合うことができた。                                                                        前回は衛生器具等の汚いところや便座が壊れていたりが多かったが、今回一度も目にすることなくきれいに清掃され、トイレの扉も西部劇に出てくるような短い扉はなくなり、日本と同じようになっていた、良い物への国際化がどんどん進んできたことは間違いはない、今回5泊7日の休暇は本当にのんびり出来た、日本にないものを見てそして世界で通用するソフト面など、当たり前のことが沢山あるこれからは国際化の時代、私たちが手掛けなければならないことが山ほどある、「感性のある豊かな心の若者」育成にどう結び付けるのか最後は何時もこのことになる。

ご近所様

この時期今年も慣れないトラクターに乗り僅かあるたんぼを興した、今年は本業が忙しく1日しか空いてなくその1日に集中して昼飯も食べず作業をした、ところが近所の人が昼に帰ってこないきっと何かあったのでは・・・ということで態々たんぼまで様子見に来てくれた、川と接近しているので川に落ちているかもしれん・・・ということでした、なんとありがたいことか、その日は夜遅くまで作業をしていたら今度は手伝うということで別の方が来てくれた、そのあとも近所の方が心配してか様子見に来た、前回は差し入れまで頂いた、ありがたいことです。

親父が他界して野菜を作ってないことを近隣の方は知っているから、近隣の方々がいっぱいいろいろなものを差し入れしてくれる、おかげで野菜を沢山食べるので体重が大分落ちた、その他水が出しっぱなしとか凍結で水道管が破裂した時もすぐに連絡をくれた、本当に近所の方々には感謝しています。

我が社が入っている総合展示場では、我が社で実際に建てたすまい手の方が展示場の案内を11名様交代でコンセルジュ戴いています、近隣の方同様に心から感謝しています、御恩返しは魅力あるすまいづくりと魅力ある組織作りに邁進して、あの会社は素晴らしいと少しでも言われる様頑張って行きたいと思っています、今後ともよろしくお願いします。

檜風呂

 16年前に建てた住まいに自社の檜風呂を設置していた御施主様よりTELあり、漏れてはいないが底が黒ずみ痛んできたから見に来て・・・、この当時は差別化を目的に檜風呂(木曽檜300年物)を意外に多く提案していた、10~13年ぐらいの耐久性と伝えていた。懐かしさもあり自ら訪れた、挨拶をする前に16年経った外観をジィート眺め施工当時を思い浮かべる、さした変わったところはないが木の板壁は年輪が出て自然と美しくなっていた、16年では塗装が早すぎると感じる・・・そんなことを想いながら呼び鈴を押す、浴槽のこともさることながら、久しぶりに施主様とお会いし、懐かしさで時間を忘れ会話が弾む、肝心の浴槽は16年も経っているのに底板の隅が傷んでいただけで周りの檜板は美しく、解体しないで底部分のみ増し張りをすることで了解をいただいた、増し張りは簡単に施工が出来、気持ち良い浴槽に蘇る。

 当時も今と同じ外断熱でペアーガラス使用のすまい、断熱材の種類が変わったが建材やクロスなどいっさい使用しない自然素材100パーセントのすまいで、ほんのりと木の香りがあり気持ち良く生活されていた。

 当時の担当が阿南美根棟梁だったので、当然阿南棟梁に行かせた、一所懸命に造ったから修理に行きたいと思うのはみんな同じ、懐かしく感じ我を忘れその刹那の境地を味わうのである、造った本人ならではの感激である。

 

めでたい

 連休明けにわが社の金子棟梁から婚姻届を提出したと聞いた、結婚するであろうとは思っていたが、ついにというか・・・金ちゃんは仕事は早いがこうした己のことになるとぬるい、ともあれおめでとうございます。

早速御両人と先日食事をする、素朴できれいで良く気が付く、そして話しやすい人で安心した、金ちゃんと仲の良いお似合いの夫婦で良かったと・・・帰りの車中で家内と喜んだものです。

 私たちの頃は朝から晩まで働き休みも第1・3日曜しか休みがない、休んでも道具手入れしたり鋸やノミその他を研いだりしなくてはならない、私の場合は農業を手伝わなければならないから異性との出会いはほとんどない、30歳になってやっとご縁をいただき今の女房と所帯を持つことができた、それから見ると今の人たちは異性との出会いは沢山ある、選ぶこともできる、納得して結婚しても我慢というかお互いの成長がなければ夫婦生活は続かない、簡単に引っ付き簡単に離れる、こまった世の中になったものです、可哀想なのは二人の間に出来た子供、片親よりも両親のもとが1番自然と思うが・・・?。

 金子棟梁は工業高校を出て入社13年目で所帯を持つ、我が社も既婚者がだんだん増えてきた半分ぐらいになったと思うが、こうして所帯持ちが増えればそれだけ路頭に迷わせることなく責任は大きくなる、そして社員のみんなは何時の日か自社のすまいに住みたいといっているし、それも実現させてあげたいものです、昔は『椀屋の欠椀』と言っていたが、今はちがう皆平等なのです。

新年度

 後継者育成や社員教育に何が難しいかは、今から行うであろうことに皆の意識改革が必ず必要になるのですが、考えを一つにする意識改革が1番難しいと思う。特に新入社員の改革は育った家庭環境・地域環境・教育においてもちがう、大分県は昔小藩が多く言葉も違えば考え方も違う、それをいまだに引き継いでいるようです、中学生の職場体験を10年前から近くの2校を受け入れている、距離にして4〜5㎞ぐらいしか離れてなくても考えも違うし、躾は相当違う、躾のよくない中学校は先生たちも車から降りない人もいるし、迎えに来てもあいさつがない、『お世話になりました』は死語になったのか、当たり前のことが言えない、後継者育成では、当たり前のことを素直に言葉で表す又忘れないこのことが1番大事と思う。

 我が社の若者は上棟の直会などで御馳走になったあと、何か月過ぎてもその志を忘れるなと言ってあるし、本当の『倍返し』を言葉(先日は御馳走様でした)だけでなく実行に移しなさい、と何回も繰り返し言っている。16歳の頃両親からどこに行っても『お世話になります』『お世話になりました』と言わんとだめぞ・・この言葉しか唯一しつこく言われたものない、今思うとこの言葉には深い意味と思いがあるようです。若い棟梁達の意識は今日やっと開花したように思うが、さあ〜今期も新入社員たちとの葛藤が始まった。