ひさしぶりにパソコンに向かう、娘から私のブログを見ている人に最近更新していないことを知らされた、1年ぶりの投稿です、最も綴るつもりではいたが、2度目のがん治療や田畑(無農薬・化学肥料を使用しない自然肥料のみ)に取り組んでいた時期です、自分が選んだがん治療に負けないため、朝は4時半に起床、柔軟体操をして一寸無理して1時間程ウォーキングしたりジョギングして体力の温存を図る、それから1日の始まり。年末に治療が終わるが副作用はいまだ出ているが、がん治療で投稿しなかったわけではない。難しい田畑に取り組みながら、やっと出来た作物を自分で料理する、これが又失敗の積み重ね、例えばかぼちゃチーズケーキや夏冬のスープづくりは随分失敗した(笑い。家族や社員に美味しい物を食べさせたい、アルプのフジマルマルシェに出展のお施主様に分けてあげたいその思いがあるのです、マルシェには毎回必ず行くと御施主様達の本当に素晴らしい手作りの展示品や賑やかな会話が聞けるのです、感謝だけでなく私ももっと頑張らねばならないと気力がわくのです。昼は一人だけテレビは殆ど見ないが暇なときは単行本を読みなおしてみたりしている、今年74才になっても自分の未熟さがまとわりつく、まだ自分に出来ることは必ずあるそれを追求、いや探している今日この頃です。ブログも未熟者の綴り悪しからず、云われて初めて気づくブログ、目を通して頂いた方たちに感謝でいっぱいです、ありがとうございます。 『人の一生とは重荷を背負うて遠き道を行くが如く、急ぐべからず不自由を常と思えばさして不足は無いもの、心に望み起こらば困窮した時を思い出すべし、堪忍は無事長久のもと怒りは敵と思え、勝つことばかり知って負くることを知らざれば、害その身に及ぶ、及ばざるは過ぎたるに勝るもの。』心の指数にしています。 感謝
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我が社の見積は概算見積でなく積算見積をする、後継者育成の一環で誰が見ても良いとしている、見積書は当然大工さんの一棟当たりの金額や木材一本の金額が解るので責任感が向上する。概算見積はアバウトだから誤解を招く恐れがある、積算見積もりは細かく拾うから時間が掛かる、面積はCADで正確に出る、特に我が社は『木のすまい』だから木材の拾い出しは特に細かい、木材だけでも丸1日はかかる。木材見積をするときは過去に一番近い見積書をベースに上書きするので、一階建てから2階建てに変わる時に階段材料を拾い忘れなどがある、一番大きなミスは棟梁からの『床板の拾い出しがない』と云われたときでした、床板を全部忘れたことがある🥶、木材の拾い出しをもとに棟梁等が出庫するので、拾い落しがあるとすぐに分かるのです、拾い出しの落ち度は建設業法では通常の半額が請求できるが、私は自分のミスだから敢えて請求はしない、ただ過去に通し柱の数が桁違いに多かったことがあるそんな時は直ぐに謝罪して上に訂正したことはあった、1%ぐらいは補足材で上げているのですが、最後に棟梁からの拾い出しのチェック表を提出してもらう、その時拾い落しがどれだけあるかわかる。たまに棟梁等にこの木材拾い出しをして貰うことがあるが、拾い出しの基本は落ち度はあっても絶対に余分に拾わないこと嘘を書かない、余分に拾うことは云い方が悪いがお金を盗むのと同じですと云っている。仕様説明ではこの木材項目に時間が掛かる、説明をしていくと「もう信用しているので木材項目は飛ばしてよいです」とよく言われた、まともに仕様説明すると全項目で4時間はかかる、たまに積算見積がよくわかる人がいて説明はしなくていいとまで言われたことがあった。お蔭で積算見積で金銭的なトラブルは過去に一度もなかった。
大工職人をしながら指名等受け設計もある程度手掛けた、まず現場に行き、周りの樹木を見たり近隣の住宅を見て、何処から一番風が吹くのかを見るためです、樹木の枝ぶりや近隣住宅の塗装の剝がれや痛みなどを見るのです(アメダスのデーターも参考にしている)、それにその宅地内で地磁気の発生を調べたりしていた、地磁気の悪いところは沢山あるからです、風通しがよく安心して就寝出来るプランを最優先してきたが、忙しく確認申請は他に任せていた、そんな中設計CADの売り込みに来た、実際に見て感動したこれからはCADの時代と直感した、だが金額を聞けば高額それに更新料や維持費もかかるしそんなお金は当然ない、それを買っても扱う人はこの当時自分しかいない中、買って宝の持ち腐れになるようなことは絶対したくない、自分でやる気が沸くまで待ってくださいと云った、それから1年~2年ぐらいたったと思う、「やる気が出たので直ぐに持ってきて」、条件は2週間付きっ切りで指導を条件に購入した、購入したその日から朝の3時頃まで指導を受けた、次の日は夜中の12時過ぎ、こうして1週間たち大分解るようになり、何とか2週間で使えるようになった、やる気があったので挫けることはなかったが、2週間続いたので頭が割れるくらい痛かった、そのCADは設計だけでなく積算とか当時の後継者育成など多方面に利用していた、当時出たてのデッカイプロゼクター(補助金で頂いた)を囲んで完成予想画面とか構造部材の立ち上げなど3Dで見て上棟などの組み方を指導していたし、仕様説明をする際にも使った、立体的にどこからも見えるので御施主様も分りやすいと云っていた。印象に残っている設計は、どんなイメージが良いですか聞いたら、顧客から『ドカーン』とした住まいを造ってほしいと言われた、『ドカーン』ですか😹、ハイ解りました、実際に完成して気にいってもらったが反省も沢山ある、その御施主様の奥様が現代アルプ総合展示場でコンセルジュをして頂いている、もう20年以上経ってると思うが本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
最初の住宅フェアは30年前頃、地域ビルダー主体の住宅フェアに出展してくださいという話があった、個人経営(建設業者と設計事務所は登録済)で今のように宅建の資格もないので、宅建業者は他社に依頼、良いチャンスだからすぐに参加の返事をした、プラン等を設計士(倭居設計の山本氏)と打合せ、やる気満々で提案を主体ビルダーに提出したらあまりにもエレベーションが奇抜でこのフェアに合わないと却下された、このエレベーションは大手メーカーの全国規模で行われた木造住宅コンクールに出品して最優秀賞に輝いた作品のエレベーションを用いた、このままでは折角準備してきたことが駄目になる、この企画のビルダーに出向いて、このエレベーションでなければ出展は遠慮する旨を伝えた、諦めていたが何日かしたら許可が下りた、この住宅フェアは一か月展示してその後は売却するやり方、一ヵ月あれば見込み顧客も現れるし売却も可能と思った、大工工事をしながら打ち合わせやら営業的にも忙しかった、いろんな方の御協力で完成した展示住宅は一際目立った、顧客の方々にも反応が非常に良い、1ヶ月で1000組の来場があったいよいよ販売、私は人見知りするタイプで営業職はそもそも苦手だが自分がやらなければ誰もいない、アンケート用紙をチェックしながら、スーツを着ていざ営業、しかしなかなかうまくいかない、建物が人気があっても直ぐには売れるものではない、この時は本当に良い経験をした、一人の顧客に数十回伺ったこともある、6ヶ月ぐらいたって何とか売却が出来たときは本当に嬉しかった。お蔭でこのモデルハウスを通じて10棟程度契約出来、人とのつながりも増えた、今後の展開は営業マンや職人の育成等色んな事が頭に過る、今までこんなにも昼夜動いたことはない、もし売却出来なければ破産していたと思う、今も我が社の設計をしている倭居設計の山本氏にはいまだにお世話になっているし、感謝の気持ちは忘れない。こうした設計力があったから沢山の賞状を頂いている、全国・別府・大分すべて最優秀賞を頂いている、大分の豊の国木造建築大賞は特に沢山頂いた。
20年頃前ある日突然御施主様達が自ら我が社のファンクラブを立ち上げた、毎年御施主様とソフトボール大会をしていたので、ファンクラブの人達はフジマルファンズと書いたTシャツまで作っていたので本当にビックリした、当時は現役バリバリの時で、技術改革・後継者育成でまともにその日のうちに家に帰ることはなかった、専門誌は読みあせるし、住まいづくりの勉強会や講演会等各県に相当行った、決められたことを数えたら年間400以上あった、そんな中でのファンクラブ、勿論嬉しいが責任感はもっと増してきた、ある年杉乃井ホテルでの新年会では、御施主様からステージに上がってと云われ社員が全員ステージに上がり、緞帳で仕切られ「絶対に良いと云うまでまで覗かないでください」、そして緞帳が開き、目の前に手づくりの超でっかいケーキを囲み御施主様が全員綺麗に座っていた、我が社に対して日頃の感謝の気持ちを云われ、そのケーキを囲み全員(60名ぐらい)で記念写真を撮った、その時私が初めて真ん中に入たのです、(社員にはこれからは若者の時代、何時も真ん中にいなさいと言ってきた)、そのあと全員でケーキを御馳走になった、事もあろうにその貴重な写真はパソコンのデーターが壊れてしまって亡くなった、そうしたパフォーマンスを御施主様から毎年頂いた、当然今でも交流はしています。嬉しい思い出も沢山あるが、失敗やうまくいかなかった現場の方が強く印象に残っている、前回の雨漏りのような時は、大きな台風が来るたびに待機をして、住て手の方に電話を入れていたし電話番もしていた(今も継続している)、事が起きれば梯子など積んで出動の準備をしていたのです、どんな時間でもどんな暴風でも必ず現場に急行した、ある時は暴風で仮設のトイレが倒れたと電話があり急行する、ある時はシートが剥がれたり、ある時は暴風の中真夜中に8人がかりで漏水の原因を調査した、ある時は注意はしていたが社員が屋根に上がり滑り落ちて鎖骨を折って入院、この時ばかりは大反省、2度とあってはならない、こうした事象があるから今の工法が生まれた(今の瓦屋根はたとえ瓦が全部なくなっても雨漏りしない我が社独自の工法)、暴風の中我が社の車だけが走っていたように思う、うまくいった現場は当然沢山あったが、当時はなにをするにも改革や反省でガムシャラでした、教育会館ですまいづくり講演会もしたが一人も来なかった、何回かチラシを入れて初めて一人来たのを鮮明に覚えている、自社だけの後援会は長くは続かなかった、色んな事にチャレンジしてみた。何をするにもファンファンクラブは会社の支えであるし、社員はこの絆を大切にしてもらいたい。