年配の熟練工がいろいろ言うたり、動いて働いても当たり前に思うし、差して何も感じられないのが普通ですが、まだ若い人達がひたむき一生懸命に動いている姿勢は、すがすがしく気持ちが良い。ひげが伸びていてもファション間隔に取れる場合もある、(えっとないひげを鏡の前で毎日剃りながらそう思った事もある。)この若者達に行儀や躾が加わったら、さぞかし美しく魅力のある職人像になるであろうと、彼等が根付くとそう考えるようになった。
さてどうして作法を教えたらよいものか、金髪・白髪・がんぐろ・丸坊主(女)・耳にはいくつ物耳飾り・首にはタオルを忘れても首飾りは忘れない若者、そして彼らの乗る車は車高を落とした地面すれすれの車・壊れかけた車・耳を引き裂くような爆音の車・改造車、まともな容姿をした若者の方が少ない、若い頃は2度と来ないからそうやかましく行った覚えもない、寧ろ当たり前ぐらいに思っていた。とにかくこうした考えや格好は長続きはしない、遅かれ早かれ理性が芽生え本当の美しさやきれいさが分かって来る。
こうした若者達を理性を目覚めさせ育成するには、肩をならべて、彼等と信頼関係をつくらなければならない、そこでガムシャラに働いた後、月に何回も飲み会を催した、それも徹底的に飲み食いさせて店が閉店になるまで若者達と会話を交わし続けた、吐いたり騒いだり何処でも寝たりした事もしょっちゅうあり、ある日店のオーナーから「もう少しおとなしく行儀良く飲む事は出来ないの」呆れた様子で言われた事が何度もあった、今思うと申し訳なく又気持ちよく最後まで飲ませてくれたいろんな店の方々に感謝して居る次第です。
その時の勢いか今でも飲み会は閉店まで徹底的に飲み食いをさせている、当時と違うのは行儀が大分良くなったか、酒が弱くなったかどちらかです、とにかくこうした事で彼らとの信頼関係や若者たちのすばらしさも分かって来た、四角や丸の豆腐を造るのも入れ物次第、必ず10年〜15年先の将来は明るいと確信を持ち、じわり・じわり前向きに進んだ。
3〜4年経ったある日、御施主様から引き渡し後にディナーに呼ばれた時、そこの奥さんから工事に掛かる前担当をする一人に金髪の若者がいた、「こんな容姿をした若者で大丈夫かと疑った」、工事途中彼の挨拶の励行や一生懸命ムダ口を叩かず最後まで丁寧にしてくれた事に、一時にせよ容姿だけで疑った事に申し訳なかったと感情をあらわにして本人を前で詫びを入れてた事が印象に残っています、勿論この若者は今立派な棟梁として御施主さまから絶大な信頼を受けて折、又3人の父親になって我が社に君臨しております。