ある記事の中で「私はドイツの母親、ドイツの婦人の家庭的な伝統の中に、我われの政治的未来に対する、我われの築くいかなる要塞にも増して、確固たる保証を見る」鉄の宰相といわれたドイツのビスマルクの言葉である。どんなに堅固な要塞より、母親が家庭でどういう教育をしているかがドイツの未来を保証する、というのである。ドイツに限ったことではない。
人格の土台を創るのは家庭である。一家の習慣、教養、風儀が子供の人格の核を創る。人を育てる原点である。家庭で創られた人格の核を土台に人は社会に飛び出していく。社会の雄飛を橋渡しするのが師と友である。いかなる師と出会うか。どんな友を得るか。師友との切磋琢磨によって、人はさらなる成長を遂げていく。人の生涯は、人を育て人に育てられる連鎖である。・・・とっても良い記事です。
今日あるわが身・わが心は両親から授かったもの、その両親も爺や婆がいたからです、そしてご先祖様がいたから今日がある、ご先祖様のお蔭と深く感謝している、御先祖様の霊が守護してくれたと思うが、若いころは危ない場面が良くあった、一度は高いところから仰向けに落ちた時でも、分厚い布団の上に落ちた気がして重傷を全く負わなかった、又ある時は屋根の上を歩いていたら自分の意志でなく、足だけが勝手に軒先の方に進んでいった、これは危険だ、けど足は止まらない、落ちる瞬間身体が屋根に「ばたっと」倒れ何とか落ちるのを防いでくれた、何かが守ってくれているような錯覚がある、不思議に思うことが何回もある、背後に誰かいるような感覚がある、おぼろげな薄黒い影を何度か感じたことはある、振り返ってもそこには誰もいない、近年は全く感じないが、彼岸の墓掃除とお寺参りには行 く。
他界した両親がよく夢に出てくる、何かを伝えたいか分からないがあまり気にしない。子供(7~15歳)のころは勤労ばかりで勉強しろと云われた記憶がない、とにかく小さいころから家の手伝いはさせられた、自分でいうのも可笑しいが勤労児童だった、今でも左手親指付近は無数の傷跡がある、かなり熱い湯でも痛さが感じられないぐらいある。両親から云われたことは、他所に行っても『お世話になりますと言うんだど』この言葉は相当小さいころから繰り返し言われてきた、もう一つの言葉は中学生になったころ親父から『勤勉直実に生きろ』その2言葉しか記憶に残ってないのです(笑い、 あとは両親の背中を見てきただけ、両親は働くことが生き甲斐みたいに働いていた、労働は美徳で、そして労働が人格を形成すると今でも信じている。
我が社は後継者育成とうたっているが実際は若い人から学ぶことが沢山ある、多くの社員は人格を備えた優秀な熟練工になった、もう教えることがないように思うが、コロナ禍の中で病気や怪我などしないように、今は皆の健康を願うばかり。