親父

 あれは9月28日の日曜日午後8時15分であった、虫の知らせか夜9時より早く帰った記憶がない中、その日に限って早く帰った、先に上がった女房が慌てて「じいちゃんが倒せている」と言いに来た、見ると父親が右上目使いにして倒れている、「ワアーヤッチャッター」そう胸の中で思った、元々血圧が高く掛かりつけの医師から薬を戴いていたのだったが、1ヶ月前からどうも飲んだ形跡がなく、医師から診察に来てないといわれていたのを思い出した、眼は見開き身体は震えて、もがいたあとが畳や襖にくっきり残っていた見ると晩酌の途中であった、刺身を半分以上食べていたから、時間からして3.5時間以上は経過していたように思った、この間ずいぶん苦しかったであろう、もう少し早く帰っていればと、そう思いながら血圧と脈を取った、血圧は確か260以上で脈は途切れなくしっかり打っていたので、救急車に来てもらった、正直に言えばこのまま息を引き取れば好きな自分の家の畳で死なせてやりたかった、90を過ぎ死ぬときは「家で死にたい・葬式は何処でやってもらいたい」そういう会話をしてきたからその言葉が頭を過ぎった。

 この年老いた父親にせめて自分が造っている、自然素材で外断熱の素晴らしい性能のいい暖かい家に住ませたいがために増築工事を完成したばかり、最初は絶対に今の部屋から動かないという、困ったものだと思いながらある日女房や妹から、強い口調で会話を交わす私を見て痴呆の入りかけた父親の顔から笑顔が消えて険しくなっている「もっと優しく云って」、そのように二人から言われ次の朝から「爺さん」から「じいちゃん」と呼ぶように心がけたのではなく、そう呼ぶと心に決めた、程好くその効果もあり険しい顔がゆるみ、増築した部屋に移ってしまった、そしてよっぽど気に入ったのであろう、近隣に吹聴していたことが後から分かった、これが倒れる前の1か月で一寸ではあるが移ってくれた事に喜びを感じ、必ず元気で「退院させる」その思いで毎日朝夕介護している昨今です。

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