投稿者アーカイブ: 藤丸直行

運命・宿命・天命

ある新聞記事の一コマに経営者仲間の人生はどういうものかとの問いにある人は、「人は『宿命に耐え』『運命に戯れ』『使命に生きる』」ある人は「天命に従い、授かった一つの命を大切にして、『運』『ご縁』に感謝して生きる」・・・この言葉にすごく感銘を受けた。

「運命と云うものは自分の力で変えられるけれど、宿命は変えられない、そしてそれを取り巻くものが天命である」と有名な誰かが云っていた。

自分の人生観と云えば、正直運命も宿命もはっきり表現できないのです、『運』ということでも戦国時代や戦争時のように何時どうなるかわからない時代は、確かに『運』が強ければ生き延びる等・・・と思っていた、今の社会は努力さえすればある程度までは実現できる、『運』は10%ぐらいと思っていた、随分前にある社長に経営における『運』の割合を聞いたことがある、その社長は80~90%は『運』と云っていたが、この年になって『運』とか『ご縁』ということを思うようになってきたのです、毎日がむしゃらだったトップの座から降りて、ゆとりが出来たせいか、今あるのは皆のお蔭で決して自分だけの力ではない、ご縁と運があっての事と深く感謝している。

35年前になるか、魅力ある職人集団をつくるため、後継者育成を掲げたとき、そんな馬鹿なことは(今の若者は気が短くて続かない、仮に一人前になっても、賃金の高いところや働く環境の良いところにすぐに行く、恩や義理はない)やめろと随分周りから揶揄や反対されたが、頑固に実行していったが何年たっても思うようにはいかない、まず若者が集まらないし、来ても技術を習得が出来ない、厳しく云えばすぐにやめる、一日しか持たなかった若者もいる、指導が悪いせいもあると思うが、随分入っては出て入った。自分が修得出来たのだから自分のやってきたことを伝授すればと思っていた、何回もチャレンジしてもうこれでだめなら終わりにしようとまで思った、その最後の時に一人の若者が光明の兆しが見え始めた、これは本当に良き『ご縁』であり『運』が良かったと思うようになったのです。『ご縁』・『運』のお蔭で運命は変わる、これからも反省をしながら良い運命を送りたい、それが宿命だと思う。





苦しい時・辛い時

人の一生とは重荷を背追うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えばさして不足はないもの
こころに望み起らば困窮した時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝事ばかり知って 負くる事をしらざれば 害其の身に及ぶ
おのれを責めて人をせむるな 及ばざるは過ぎたるに勝るもの

徳川家康公の遺訓ですが、苦しく辛い時・困った時など何かにつけ頭を過る、40年前新婚当時に夫婦喧嘩をしたときに、困った挙句にこの訓をトイレの壁に貼っておいた(笑い

この明訓のおかげで夫婦げんかも何時の間にか収まっている(笑い

何回も貼るから他界した親父から、何時まで張っておるんか・・・と叱られたこともある(笑い

今喧嘩しても効果(あれから40年)がないから貼らないし、何を云っても負けるから「望み起これば困窮した時を思い出すべし」・・・(笑い

仕事でもなんでも良い事ばかりは続かないが、どうせ造るなら良いものを造ろう、どうせするのであれば真剣にやろう、どうせやるのであれば一番を目指そう・・・と随分云ってきた。苦しい時や辛い時を過ごして今日があるがこの明訓も頭から離れない。

昨年秋のオープン、アルプ総合展示場ではコンセルジュ(御施主様)皆さんのおかげでファンの方が増えてきていますが、毎年恒例の御施主様感謝ディーを行うが、もう2度も出来ない状態、コロナ禍ではいろんなことが思う通りにはいかない、こんな時はこの明訓を思い出す、この訓には随分助けられた、この道の入って55年になるが、この訓のように勝(ブランディングは程遠い)ことはないが、まだ皆で頑張るしかないのです。なんと言おうと時間は止まらないし、時間がたてば大抵の苦しい・辛い事は忘れさせてくれる、すまい手の方も造り手のかたも地球環境・自然環境を考慮した、身体にやさしい住まいの追及を行くが如し 急ぐべからず。



新入社員(大工修行)

職人の世界でも社会人になれば厳しいのは当たり前、ああ厳しい一日が終わって良かった、というような意識のレベルでは絶対に良き棟梁や良き社会人にはならない、「精一杯やってきたからそれでいいんじゃないの」今の若者に充満している言葉です。褒める教育が主流ですが、人によっては褒めたらその子はこれくらいでいいんだって思い込んでしまうことも良くある、叱るにしても現行犯で叱り、直す方法を教え、長い時間叱らないこと、叱る原因は基本を間違ったときが多い、伸びる子は人の言葉を信じてくれる、真っ直ぐ目をそらさないで耳で聞き、頭で聞き、心で聞かないと伸ばない、指導する側も目の前にいる新人を本気で向き合えること、そして本気でその子を運命だと思い、受け止めて預かることです、そうすると必ず成長するのです、指導者より技術も人格も上に行く人は基本的には引き止めない、そうした人は寧ろ独り立ちを勧める、自分で事を起こせば今以上に真剣になる、社会に依り貢献できるからです、きれいごとではなく今まで9名程の棟梁が独立して社会貢献している。どんなに優秀でも己の目先の欲で引き止めたりしない、だからそうならないように指導者(トップ)は常に切磋琢磨を忘れてはならないのです。

新入社員に願うことは怪我をせず技術は勿論の事、知識や情報は会社には豊富にある、会社は利用されるものでなく利用するものといつも言っている、社会に出てからは知恵を付けることが大切です。

すまい

非常に物質的に裕福になった今、感謝の念とか目に見えない精神的なありがたさを感じない人が増えてきた、そのせいか心まで乱れている人が多く、心を癒してくれる場との距離が遠くなったように思う。

昔子ネズミをコンクリートや鉄の中・無垢の木の箱に入れて成長の実験をした記事で、コンクリートや鉄の箱はストレスを感じ育たないまま死んだ、木の箱は育っていった、我が社では金魚を木の箱とガラスの入れ物に3~4匹入れて育てた、どちらが大きくなるか実験をした、木の箱は酸素を入れない、ガラスは酸素を入れる、1週間して大きくなったのは木の箱の金魚が大きく育った、何時しか外に置いたまま越冬させた、ガラスは全部死んだ木の箱は氷が張っていたが1匹だけ死んでいた。合板の箱と無垢の木の箱に防腐剤の入っていないパンを入れる、温度・湿度を同じにして腐るのは合板の箱が遥かに早い、野菜も同じで合板の箱は腐れ易いのです、何をとっても無垢の木の箱が極端に良いのです。人が住む住まいどんなに装飾してもコンクリートや鉄・合板の中では切り花・生け花・正月の鏡餅もすぐに枯れたり、カビが生えたりします、そんな中での生活…
毎日過ごす住まいは、一番くつろげるところ、心を癒してくれるところでなければならない、心のふるさとの根源は自然素材(自然の中)に囲まれた、手刻み・手加工による生きた木のすまいでなければ豊かな心を育むことは難しい、又一生懸命に心を込めて創らなければただの家、生きた素材を活かすのは機械でなく、心を込めた人の手でなくてはならない『気持ちを込めた木持の良い家』感動する住まい、それは最後に感動と感謝の気持ちが御施主様に伝わったかで決まる。引き渡し時に御礼に赴くが、担当の棟梁と住まい手の方たちの安堵と感動を感じる、生きたすまいが驚くほど毎回進化している、これからも期待を超えた感動を・・・「至誠惻怛」

育てる

ある記事の中で「私はドイツの母親、ドイツの婦人の家庭的な伝統の中に、我われの政治的未来に対する、我われの築くいかなる要塞にも増して、確固たる保証を見る」鉄の宰相といわれたドイツのビスマルクの言葉である。どんなに堅固な要塞より、母親が家庭でどういう教育をしているかがドイツの未来を保証する、というのである。ドイツに限ったことではない。

人格の土台を創るのは家庭である。一家の習慣、教養、風儀が子供の人格の核を創る。人を育てる原点である。家庭で創られた人格の核を土台に人は社会に飛び出していく。社会の雄飛を橋渡しするのが師と友である。いかなる師と出会うか。どんな友を得るか。師友との切磋琢磨によって、人はさらなる成長を遂げていく。人の生涯は、人を育て人に育てられる連鎖である。・・・とっても良い記事です。

今日あるわが身・わが心は両親から授かったもの、その両親も爺や婆がいたからです、そしてご先祖様がいたから今日がある、ご先祖様のお蔭と深く感謝している、御先祖様の霊が守護してくれたと思うが、若いころは危ない場面が良くあった、一度は高いところから仰向けに落ちた時でも、分厚い布団の上に落ちた気がして重傷を全く負わなかった、又ある時は屋根の上を歩いていたら自分の意志でなく、足だけが勝手に軒先の方に進んでいった、これは危険だ、けど足は止まらない、落ちる瞬間身体が屋根に「ばたっと」倒れ何とか落ちるのを防いでくれた、何かが守ってくれているような錯覚がある、不思議に思うことが何回もある、背後に誰かいるような感覚がある、おぼろげな薄黒い影を何度か感じたことはある、振り返ってもそこには誰もいない、近年は全く感じないが、彼岸の墓掃除とお寺参りには行 く。

他界した両親がよく夢に出てくる、何かを伝えたいか分からないがあまり気にしない。子供(7~15歳)のころは勤労ばかりで勉強しろと云われた記憶がない、とにかく小さいころから家の手伝いはさせられた、自分でいうのも可笑しいが勤労児童だった、今でも左手親指付近は無数の傷跡がある、かなり熱い湯でも痛さが感じられないぐらいある。両親から云われたことは、他所に行っても『お世話になりますと言うんだど』この言葉は相当小さいころから繰り返し言われてきた、もう一つの言葉は中学生になったころ親父から『勤勉直実に生きろ』その2言葉しか記憶に残ってないのです(笑い、 あとは両親の背中を見てきただけ、両親は働くことが生き甲斐みたいに働いていた、労働は美徳で、そして労働が人格を形成すると今でも信じている。

我が社は後継者育成とうたっているが実際は若い人から学ぶことが沢山ある、多くの社員は人格を備えた優秀な熟練工になった、もう教えることがないように思うが、コロナ禍の中で病気や怪我などしないように、今は皆の健康を願うばかり。