投稿者アーカイブ: 藤丸 直行

目を覚まそう

 

 人類は長い間再生可能な資源の使い方をしてきました、しかし今は自分たちのよりよい快適な生活の為に、山を削り地下を掘り限りなく地球を痛めつけています、快適というプラス面を求めればそれに伴ってマイナスの面が必ずついてくる。

 環境破壊の上に成り立つ物質文明がこのまま進めばやがて人類や自然が行き詰まってしまうのは必至です、どこかでバランスを取ろうという宇宙の動きが必ず働くはずです、近年頻発する災害や異常気象などはそうした自然からの警告なのかもしれません。

西洋のように人間と自然を対立軸で捉えるのではなく、お互いに一体と捉えて融和させていくところに東洋の思想のすばらしさがあるのです、西洋化学は人間が自然をコントロールできるものと考えてきましたが大自然の脅威を前にした人間は限りなく無力です。

 微力ながら私達ができることは再生可能な資源、特に国産の木材を多く使用することです、戦後大量に人口植林した70年物の木材は光合成が相当低下しています、(若木は老木と違って光合成が盛んです)、今伐採をして新しく植林する時期が来ているのです、それでも安い外材の輸入は止まらないのが現状です、メーカーの間柱や桟木は全てホワイトウッドです、構造材は相変わらず米松が主流です。

 我が社は後継者育成と共に国産無垢材を使用することは随分前から取り組んできました、今では若者たちの技術の向上と波長を合わせるように国産無垢材100%の住まいづくりが完成いたしました、このことは元々根本である自然と共生するという事です、逆に自然と遠くなればなるほど人間や生き物のすべてがストレスを感じ身体の不調が増幅するといわれています。

 環境・省エネ・健康にバランスの取れた自然素材100%の住まいは今では非常に価値のあるものです、住まわれた御施主さまからアトピーや喘息・花粉症がでなくなったなど又生け花や切り花が長持ちするし正月のお餅にカビが生えないなど沢山良い話を聞いています、自然の中から生まれたすべての生き物は自然の中で生活するのが当然一番いいのです、「人」が「為」すことは「偽り」なのです、今がよくても必ずしっぺがえしが来ます。

 これから起こるであろう自然災害に対しても先を読み、真剣になって対応する住まいづくりに邁進する所存です。

新春

 あけましておめでとうございます。今年も若い社員たち共々よろしくお願い致します。

昨年の下半期は倒れた父親の事で背一杯でしたが、奇跡的に快方に向かっています、年を重ねるとリハビリも大変とは思いますが、子としてできるだけの事をしてあげ、家のほうも守っていかなければと思っています、そして大事な仕事も当然こなさなければならない、今天が乗り越えるための試練を与えてくれた・・・そう思いながら今年も真剣に努力をするつもりです。

 昨年は本当に怪我がなく1年が終えました、受注面では上半期が悪く下半期になり住まい手の方達より紹介が一気に増えました、それは本当に心余るもので感謝の気持ちでいっぱいで責任をより以上感じます。

 自然素材ぐらい難しい建築材料はありません、一本としてまったく同じ材料がないからです、それと同時に乾燥材といっても3〜5年も自然乾燥していても、全てバラバラです、そうした材料を棟梁たちが適材適所に使って行くのです、当然年期の入った人や真剣になって取り組む人たちだけしかそれはできません、長持ちする価値のあるすまいはそうした努力の結晶と思っています、我が社は全国でも数少ない手づくり・手加工の出来る優秀な職人集団を築き上げたく一所懸命真剣に頑張っています、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

この道47年の終わりに

 今から47年前、適職を模索するというより、何がしたいどんな職業に就きたいとか言う理性も乏しく、家庭の事情や両親の考えのほうが強いものがあってこの道に入ってきたように思う。

 3人兄弟の長男に生まれ下の二人は家で祖母が子守し、長男のわたしは寒さ暑さ関係なく田畑に連れていかれ、一所懸命働く両親の後ろ姿を見て育った、紐でくくられ動けなかったために退屈で夏は苦にならなかったが、冬は流石に寒く畑の傍らは霜柱でいっぱい、早く帰りたかった思いがある、こんな日々が当たり前で小学校〜中学校の間は、冬は集団でかまどや風呂の焚き木をナタで切ったりしてそれを竹の縄でくくって持って帰る、夏は陽が登る前に家畜の餌を鎌で刈りに行くそれから登校していた、刃物を使ったりしていたので怪我や傷はショッチュウあった、そのため左手にはいまでも無数の傷跡が残っている、中学は農繁休暇もありそれを親は期待していたので背一杯働いた、早く社会人になり両親を楽にさせてあげたいそういう想いがいっぱいだった、当時の長男教育はそうしたものです。

 専門学校を出て個人の大工棟梁に弟子入りするのが当たり前の時代でした、私も同じように弟子入りした、いよいよ修行に出ていくときに両親から言われたことは、時の挨拶と皆に「お世話になります」「お世話になりました」・・・と必ず云うんだぞsmiley、上棟や新築祝いで酒肴品を戴いたとき「ご馳走に成ります・ご馳走様でした」のお礼の言葉は勿論、次の日もまた次の日に逢わなければ何日・何週間・何カ月経っても感謝の気持ちを忘れずに「昨日はご馳走様でした」「先日はご馳走様でした」「何時ぞやご馳走に成りました」ご馳走になった恩を忘れずに仕事で恩を倍返ししていきなさい・・・この事だけは何回も云われた、因みに子供の頃は勉強しろとは一度も言われた記憶がない、今も若い人たちにこの感謝の気持ちをまず言葉で表す様しつこく言っている、やがて感謝の気持ちが心に宿る日が来るでしょう。

機械には出来ない職人一人一人の手作業にしかできない事は沢山ある、特に自然素材を使う住まいづくりは、生かすも殺すも豊かな心を持った職人たちの肩にかかっている。

 47年経った今試行錯誤の上ようやく人が集まり留まってくれるようになり工務店らしくなって来ました、今年も残す後僅か良い家とは「暮らしを楽しむ事の出来る生きた住まい」、この想いをみんなで共鳴しあい来年は今年以上に心を磨きたい。     感謝

研修旅行

 10年ほど前に我が社のイタリア研修旅行に行った折に、見るものすべてが感動の連続で必ず又行きたい、そして今度は南イタリア(前回はベネチア・ローマ周辺)特にポンペイの遺跡をじっくり観たい、その思いで皆を今年は連れて行くと約束していたが、予期せぬ出来事(両親の入院)が起き、我が家族は行けなくなった、社員たちは楽しみにしていたのでそのまま計画通り実行した、後継者育成の一環で感性教育は海外に行くのが一番良いように思う、特に歴史ある国は心を引きつけられる事が多い、今回研修旅行のレポート(社員たち)を目を通すと如何に感動したかが分かる、殆どが何ページにぎっしり書かれているし又ある物は残った我々の事を案じてくれたり、一人一人が感謝の気持ちと感動を同時に綴っていた、今年の上半期はプランや事情で先送りになり、着工戸数が少なく売上が落ちて、台所が厳しい中でしたが若者たちの将来を考えれば、今回行かせてよかった。

 ポンペイ遺跡の写真を沢山見せられ、広大な当時の驚く素晴らしい文明の数々又ヴェスヴィオ火山噴火による甚大な被害・日本では見られない南イタリアの景観、有名な青の洞窟はこの時期10%の確率で行けるらしいが、海が荒れて行けなかったと聞いた、日本人の観光客がほとんど行かないところでガイドさんの速足での案内やバスで狭い絶壁の中での走行、酔いや怖さ、道中のハプニングや食事の様子、機内サービス、長時間飛行機の中での体験等さまざまな思いや感動に酔いしれた研修旅行であったと聞いて、行かせて良かったと心から喜んでいる次第です。

親父

 あれは9月28日の日曜日午後8時15分であった、虫の知らせか夜9時より早く帰った記憶がない中、その日に限って早く帰った、先に上がった女房が慌てて「じいちゃんが倒せている」と言いに来た、見ると父親が右上目使いにして倒れている、「ワアーヤッチャッター」そう胸の中で思った、元々血圧が高く掛かりつけの医師から薬を戴いていたのだったが、1ヶ月前からどうも飲んだ形跡がなく、医師から診察に来てないといわれていたのを思い出した、眼は見開き身体は震えて、もがいたあとが畳や襖にくっきり残っていた見ると晩酌の途中であった、刺身を半分以上食べていたから、時間からして3.5時間以上は経過していたように思った、この間ずいぶん苦しかったであろう、もう少し早く帰っていればと、そう思いながら血圧と脈を取った、血圧は確か260以上で脈は途切れなくしっかり打っていたので、救急車に来てもらった、正直に言えばこのまま息を引き取れば好きな自分の家の畳で死なせてやりたかった、90を過ぎ死ぬときは「家で死にたい・葬式は何処でやってもらいたい」そういう会話をしてきたからその言葉が頭を過ぎった。

 この年老いた父親にせめて自分が造っている、自然素材で外断熱の素晴らしい性能のいい暖かい家に住ませたいがために増築工事を完成したばかり、最初は絶対に今の部屋から動かないという、困ったものだと思いながらある日女房や妹から、強い口調で会話を交わす私を見て痴呆の入りかけた父親の顔から笑顔が消えて険しくなっている「もっと優しく云って」、そのように二人から言われ次の朝から「爺さん」から「じいちゃん」と呼ぶように心がけたのではなく、そう呼ぶと心に決めた、程好くその効果もあり険しい顔がゆるみ、増築した部屋に移ってしまった、そしてよっぽど気に入ったのであろう、近隣に吹聴していたことが後から分かった、これが倒れる前の1か月で一寸ではあるが移ってくれた事に喜びを感じ、必ず元気で「退院させる」その思いで毎日朝夕介護している昨今です。